江別の屯田兵 6.屯田兵年譜
印刷用ページを表示する 掲載日:2014年1月30日更新
6 屯田兵年譜
年 | 江別 | 北海道・日本 | |
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明治 | 1868年 | 明治維新、戊辰戦争、箱館戦争(元・2年) | |
2年 | 1869年 | 開拓使新設、蝦夷地改め「北海道」 | |
4年 | 1871年 | 宮城県涌谷から21戸入地、対雁村設置 | 開拓使庁札幌に設置アメリカより開拓使顧問ケプロン一行来日、廃藩置県 |
5年 | 1872年 | 札幌・対雁間道路開通 | |
6年 | 1873年 | 榎本武揚対雁に農場開設 | 福山・檜山漁民騒動、徴兵令布告 |
7年 | 1874年 | 佐賀の乱、黒田清隆屯田憲兵事務総理、屯田兵例則制定 | |
8年 | 1875年 | 屯田兵琴似入地、樺太千島交換条約 | |
9年 | 1876年 | 琴似・山鼻両屯田篠津太で養蚕実習、樺太アイヌ宗谷から対雁に移住 | 屯田兵山鼻入地、札幌農学校開校、熊本神風連の乱、萩の乱 |
10年 | 1877年 | 西南戦争 | |
11年 | 1878年 | 江別屯田(第一次)10戸入地、江別村設置、対雁・江別問道路開通 | 永山武四郎屯田事務局長任命 |
13年 | 1880年 | 対雁に戸長役場開設 | 小樽(手宮)・札幌間鉄道開通 |
14年 | 1881年 | 篠津屯田(第一次)19戸入地、篠津村設置 | 樺戸集治監開設 |
15年 | 1882年 | 小樽・幌内間鉄道開通、江別駅開設 | 開拓使廃止、札幌・函館・根室三県設置、屯田兵陸軍省管轄、空知集治監開設 |
17年 | 1884年 | 石狩・樺戸間石狩川定期航路就航、江別屯田(第二次)75戸入地、江別・篠津両屯田第一大隊第三中隊として編成 | |
18年 | 1885年 | 江別屯田(第三次)43戸・篠津屯田(第二次)30戸・野幌屯田(第一次)138戸入地、野幌屯田第一大隊第四中隊として編成 | 屯田兵条例制定、屯田事務局を屯田兵本部と改称(永山武四郎本部長) |
19年 | 1886年 | 戸長役場対雁村から江別村に移設、江別屯田(第四次)28戸・野幌屯田(第二次)87戸・篠津屯田(第三次)10戸入地、北越殖民社17戸幌向に入地、江別東学校(江別)・江別西学校(野幌)開校 | 三県廃止、北海道庁設置 |
20年 | 1887年 | 江別兵村に第三大隊本部設置、江別・篠津両屯田第一中隊、野幌屯田第二中隊として編成 | |
22年 | 1889年 | 篠津小学校開校、野幌駅開設、練兵場一角に錦山神社建立(野幌) | 大日本帝国憲法発布、屯田兵条例改正、屯田兵本部を屯田兵司令官と改称(永山武四郎司令官) |
23年 | 1890年 | 北越殖民社115戸野幌に入地 | 屯田兵条例改正(士族資格廃止等)、屯田兵土地給与規定制定 |
24年 | 1891年 | 江別の屯田兵予備役編入、第二大隊に所属 | |
27年 | 1894年 | 石狩川に「重兵衛渡し」(追給地一原への渡船) | 屯田兵条例改正(予備役削除現役8年)、日清戦争(27・28年) |
28年 | 1895年 | 屯田兵に動員令(東京までの派兵で帰還)、江別の屯田兵後備役編入 | 屯田兵臨時第七師団に編成されて動員 |
29年 | 1896年 | 札幌に第七師団設置(永山武四郎師団長)され屯田兵第七師団に所属 | |
30年 | 1897年 | 江別市街大火で105戸焼失 | |
31年 | 1898年 | 連続豪雨で大水害 | 全道に徴兵令施行 |
32年 | 1899年 | 屯田兵募集終了 | |
33年 | 1900年 | 第七師団旭川へ移設 | |
34年 | 1901年 | 屯田兵条例改正(現役5年) | |
37年 | 1904年 | 屯田兵出征して旅順・奉天で参戦 | 日露戦争(37・38年)、第七師団動員されて屯田兵第三軍に編成、屯田兵条例廃止 |
39年 | 1906年 | 江別・対雁・篠津3村合併して江別村(二級町村制施行) | 屯田兵土地給与規則廃止 |