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江別市指定文化財

印刷用ページを表示する 掲載日:2017年2月17日更新

江別市の国・北海道・市指定文化財

6 千古園(史跡 昭和46年8月12日指定)

写真:千古園

所在地 東野幌375

 東西野幌開拓の創始者のひとりである北越殖民社社長関矢孫左衛門が、明治24年から大正6年6月21日死去するまでのあいだ居を構えたところです。

 大正7年、殖民社有志の発意により、部落民が協力して屋敷全体の手入れを行い、千古園と名付けて現在に至っています。
 園内には、関矢翁の生前の自筆を刻んだ『留魂』の石碑が置かれています。

7 火薬庫(史跡 昭和46年8月12日指定)

写真:火薬庫

所在地 萩ヶ岡19

 屯田兵第三大隊本部跡。屯田兵が最初に江別に入地したのは明治11年ですが、当初は江別分隊と呼び札幌に置かれた第一大隊に編入されていました。
 明治18、19年、野幌に225戸が入地し、江別への屯田兵の配置が完了し、明治20年、江別・野幌の両中隊は第一大隊から分割され、新たに第三大隊として編成されました。
 この大隊本部は、現江別小学校のある萩ヶ岡に置かれました。屯田兵の解散後、建物は他の施設に利用されていましたが、昭和9年1月失火により焼失し、現在はこの火薬庫だけが残っています。

 火薬庫は煉瓦造平屋建て、建築面積は15.75平米で、屋根は江別では珍しい瓦葺です。
 使用された煉瓦は、Sの字の刻印から白石の鈴木煉瓦製と思われます。

8 野幌太々神楽(無形民俗文化財 昭和48年3月31日指定)

写真:野幌太々神楽

所在地 西野幌155

 明治31年8月、神楽師匠五十嵐金作が始めて野幌神社例大祭に舞楽を奉納したのが野幌太々神楽の始まりです。
 この神楽は、東西野幌地区の開拓に入植した北越殖民社の人々の故郷、新潟県中越地方の神楽の伝統を受け継ぎ、北越殖民社社長関矢孫左衛門が郷土芸能として奨励、伝承に努めました。

 戦中・戦後の一時期消滅の危機に見舞われましたが、この地区の青年有志により昭和32年「野幌太々神楽保存会」が結成され、今日まで20舞が保存・伝承されています。
 春秋の野幌神社のお祭りに奉納されるほか、今日では市民文化祭などの行事においても舞われています。

9 扁額「對鴈學校(ついしかりがっこう)」(有形文化財 昭和48年3月31日指定)

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10 扁額「冨貴在苦學労力(ふうき くがく ろうりょくにあり)」(有形文化財 昭和48年3月31日指定)

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所在地 緑町西1丁目38 江別市郷土資料館

 明治8年、千島樺太交換条約により樺太から移住したアイヌの人びとを、開拓使は翌9年に対雁(現石狩川河川敷内)に移しました。開拓使はアイヌの人びとの定着のため、製網所を設け指導し、明治10年12月には、子どもたちの教育のための教育所を製網所内に開設 しました。

 明治11年1月に学校として開校、13年6月には新校舎が完成し「対雁学校」と改称され、学務局の直轄となりました。
 この2面の扁額は、開拓使長官黒田清隆が学校を訪れたおり、揮毫されたといわれているものです。

 清隆の真筆は数少なく、伝来と年代を特定できる大変貴重な作例といえます。

11 坊主山遺跡出土江別式土器(有形文化財 昭和57年7月1日指定)

写真:江別式土器 

所在地 緑町西1丁目38 江別市郷土資料館

 続縄文時代(1世紀~6世紀)の中頃、それまで南と北に分かれていた北海道の土器文化は、江別を中心とした石狩低地帯において融合し、独特な土器文化を生み出しました。

 この土器は一般に江別式土器と呼ばれ、この文化を江別文化と呼びます。
 この土器文化はまたたくまに全道に波及し、さらには津軽海峡を越えて東北地方北部や新潟県西部にまで及びました。
 指定された56点は、江別式土器の標式遺跡「坊主山遺跡」から出土した土器で、江別式土器の文様と形態を良く示しているとともに江別式土器の移り変わりを示した貴重な資料です。

12 旧岡田倉庫(有形文化財 平成29年1月25日指定)

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所在地 2条1丁目5番地の2

 旧岡田倉庫は、明治30年、雑穀商を営む岡田商店の倉庫として建造されました。

 外壁は札幌軟石を使用しており、地上から7段までは厚手の軟石組積造、上部を木骨軸組構造の外壁に軟石を積み上げる構造が特徴で、小屋組は洋風キングポストトラスを採用しています。

 市内の木骨石造の建造物としては唯一、明治時代の所産であり、鉄道と舟運の結節点として交通の要衝であった往時の江別市街地(江別港)の歴史を物語る数少ない重要な建造物です。