叢書・江別に生きる 6 『番屋残照 ―ろまん・ふるさと草創』
千田三四郎 著 1996年7月発行 定価1,800円(消費税込み)
外輪船というミシシッピ川の観光的なそれがイメージされてるが、石狩川の外輪船には開拓期の希望と不安が象徴されているようだ。『海のない港』では、さまざまな思いを抱いて乗り合わせた庶民の姿を、商家の主婦の視点をとおして描いてみた。江別に町並みらしいものが出来かける明治24年(1891)の5月21日を中心に据え、当時をいろどる功労者たちはあえて登場させなかった。
(「海のない港」解説文より)
第六巻「番屋残照―ろまん・ふるさと草創」は、三編からなります。いずれも、ふるさとえべつの創成期を偲んだ“ろまん”が描かれていますが、三編とも実在人物が登場するため、著者には、あくまでも史実に基づくとともに、史実を超える部分については、独自の解釈、独自の発想で描いていただくようお願いしました。
本書は、江別叢書第一巻の「世田谷物語」から第十巻刊行にいたるまでの中間点というべき第六巻にあたります。そのため、今までの江別叢書の基調であるノンフィクションから離れ、いささか冒険的とは思いましたが、創作をお届けすることになりました。
(-序-より一部抜粋)
あらすじ(-序-より)
第一編 番屋残照
幕末の慶応三年(1867)に江別最初の和人定住者立花由松が豊平川左岸(対雁)に入りツイシカリ番屋の通行守として旅人の世話をしていましたが、その息子亥之丞の幌内炭山発見にまつわる曲折を開拓使大判官松本十郎が解明していく成り行きやそれを見守る亥之丞の妻サヨ、開拓使雇の早川長十郎へのいたわり、先住アイヌ民族のひとりタケアニアとの友情などが描かれています。
第二編 寺小屋のおかか
明治二十三年(1890)五月六日の北越植民社第一陣の入植に続いて、同月九日、第二陣百九十二人が野幌(東野幌・西野幌)に入植して開墾に携わった時代を背景に、瑞雲寺開基住職の坊守(浄土真宗で僧の妻)マツの目から見た、開墾における移民たちの苦労や、阿波移民の娘ミツの愛の曲折などが描かれています。
第三編 海のない港
明治十四年(1881)に大倉組の御用船が樺戸(月形)集治監の物資の補給のため江別~月形間を就航しましたが、官船の監獄船神威丸、安心丸が、毎日、旅客や荷物の輸送を始めたのは明治十七年(1884)でした。
その後、明治二十二年(1889)には、石狩川汽船株式会社が設立され、外輪式鉄船上川丸、木造船空知丸が江別~月形間を定期的に往来し、船運も一層便利になりました。
こうした時代を背景に、旧江別駅と江別港の近くで古着商を営む商家の主婦絹が行方不明の夫に代わって、商いのために、外輪鉄船で樺戸集治監まで行く途中、船に乗り合わせた乗客と巡査や囚人とのやりとり、船内での急な出産、囚人の脱走事件、古着商の商いとその家庭での生活などが描かれています。