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平成14年第2回江別市議会会議録(第2号)平成14年6月19日 7ページ

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年1月30日更新

6 議事次第の続き

一般質問の続き

議長(五十嵐忠男君)

 休憩前に引き続き会議を開きます。
 一般質問を続行いたします。
 植松議員の観光についての質問を許します。通告時間30分。

植松直君

 議長から発言の許可がありましたので、通告事項に沿って質問を行います。
 今回は、江別市の観光政策について、いろいろな角度からアプローチを試みることにしました。
 観光も新総合基本計画の見直しに含まれて、21世紀の江別の在り方に大きく寄与する課題と考えます。というのも、後期基本計画を踏まえて、市民に快適なレクリエーション機能を提供し、まちづくりと一体となった観光振興の方向性を検討した結果を平成11年に江別市観光振興基本計画として公表しています。
 観光も社会の動きとともに余暇意識や行動も変化します。経済の成長期には団体観光が主流でしたが、現在はどうかというと、計画書では今を第5期、第5ステージとして、個人や小グループ、家族などでアウトドア、自然環境と共生を目指す体験型観光が増えて、それに対応する施設や公営温泉、スポーツ宿泊施設の整備が求められていると分析しています。
 次に、江別市のイメージに触れています。どなたにも実感として持っている事柄とそう掛け離れてはいませんが、れんが、れんがの町が第1位で、札幌のベッドタウン、豊かな自然・緑、パルプ・製紙、学園都市・文教地区と続き、続いて石狩川、原始林となっています。
 れんがに関連して、えべつやきもの市が全道規模のイベントとして認知されているといい、観光地では野幌森林公園が江別市以外から訪れる施設としてトップに上げられています。そして地元のおいしい食べ物が観光レクリエーションの大きな要素としてアンケート調査でも指摘されています。
 市長の施政方針の中で必ず触れるフレーズが、原始林と石狩川に抱かれたふれあいのまち江別市は、確かに豊かな自然や歴史的な建造物やセラミックアートセンターなどの観光資源が生まれてきていますが、平成11年度時点では観光地としての存在感が希薄であるといっています。
 まずは、原始林について。江別市の観光入り込み客数は野幌森林公園が80%以上を占めて、平成5年までには年間100万人以上の人が訪れています。平成6年に80万人に急減し、平成8年には60万人に減少しています。その後の数字が示されていませんが、減少傾向に歯止めが掛かっているとは思えません。
 百年記念塔、開拓記念館、開拓の村等の公園内の主な施設は札幌市にあります。江別市の観光計画に載っている入り込み数の数字ですが、果たして江別市側のカウント数なのか疑問に思っています。
 江別市側の施設を見てみると、セラミックアートセンター、歴史的建造物になった林木育種場旧庁舎、森林キャンプ場、一番大きな面積を占める道立野幌総合運動公園、西野幌と登満別のパークゴルフ場と、その奥にある森林の家、農村広場、及び観光には関係の薄い施設として立命館慶祥高校があります。
 先に挙げた基本計画に載せてある入り込み客数の数は、本当は江別市側のこれらの施設から野幌森林公園に足を運んだ数をカウントして本誌に掲載したと思いたいのですが、そうでなく、札幌市からの数字ということであれば、観光についても江別市は札幌市に隣接した衛星都市で、自らの観光の在り方を厳しく問わないできたとは言わないまでも、依存体質は完全に脱却できていないように映ります。
 大都市にある日本に誇れる森林と宣伝し、江別市も最高の観光資源としてとらえているにもかかわらず、この100万人という数字が札幌市の便乗の数字でなく、江別市に乗り入れてきた実数であれば、それなりの経済的効果やまちづくりにも影響をもたらしてきたのではないでしょうか。
 関矢孫左衛門さんの業績と同時に、この大自然を次世代に残すためにも積極的に森の中に入り、五感で自然に触れることが必要です。野幌小学校の愛林少年団は、小さいときから森を体験する良い活動と思います。原始林に隣接する小中学校はほかにもあります。そのようなところにも、ゆとり学習を活用して森の体験の機会を盛り込んでいただきたい。
 それと同時に、外から江別市に訪ねてくる人々にも体験型の観光を考えることが求められています。キャンプにしても、青少年キャンプ場がやっと整備されてきましたが、砂川のこどもの国と比較するわけではないが、何かわくわくするものがない。道外からの車で訪れるキャンパーにとっては、このキャンプ場に来て他と比較をして魅力あるものには見えていないようだ。大変静かで良かったという話もあるが、大半は素通りをしているのが現状です。懐の大きい自然に触れる絶好のロケーションを与えられていることを受け止めて、思い切ってボーイスカウトのジャンボリー大会を江別市で催せるような条件を整えるべきではないのか。
 歴史的建造物として保存する林木育種場旧庁舎がありますが、その役割について、もう一度確認をしておきたい。古い建物で、歴史的に価値があるから、後世に残すというのが主な趣旨であったが、実をいうと野幌原始林とのかかわりの中で、この建物をどう位置付けをし、どう利用するのかの視点から検討すべきでなかったのか。このほかにもこれまでの多くの保存物は個人的に見ても、後から上手に理由付けをしてきたの感があります。今はこの建物の保存を決めたわけですから、原始林の在り方に連動して考えるべきです。例えばこれからの10年後、20年後の原始林の在り方をとらえて、育種場をどう位置付けるのかです。環境の面から見て、今、京都議定書の批准に政府は前向きに検討していますが、一地方であっても、地球規模で考えることは必要であり、この原始林もそういう位置付けをすべきなのです。
 全国的に見ても、林業が衰退し、この分野にかかわる人たちの高齢化が進み、日本の山林はひん死状態と言われています。江別市の原始林も例外ではなく、これから50年、100年と原始林が維持できるのか、疑問を呈する専門家もおります。素人目に見ても、細い木が密生して風が吹くと倒れる恐れのあるゾーンが至る所に見られます。多くの人が入っていくレクリエーションの森では、環境の美化は当然としても、何よりも安全であることが要求されます。自然に任せておく所と、人間が管理しなければならない所とそれぞれ区別をしながら保全していく必要があると思います。
 観光と森との共生を目指し、体験型の観光になるように、市民と連帯する場所としての育種場の管理運営をNPO化するように市が取り計らうべきと思うが、いかがでしょうか。江別市にも森にかかわってきた人が大勢います。しかし、当然ながら、年月を経るにしたがって少なくなってきます。日本野鳥の会や自然保護の皆さんで森林を守るNPOを立ち上げることで、これらの森林の在り方が変わってくると思います。市内の森の知識人を組織し、原始林のサポーターとしてボランティアとしての地域にふさわしい森づくりや森林愛護の中核になるリーダーになってもらう。最近、北海道と森林管理局とが、樹木が少なくなって、森林の機能が著しく低下した道内の21か所を緑の再生事業の対象に指定しましたが、幸いにも野幌原始林がこの地域に含まれていませんが、森林・林業基本法が改正される以前から、共生と公益性重視をいち早く取り入れてきた森林であるだけに、自主的に持続可能な森林経営を推進する認識を江別市は他の行政機関よりも強く持って、情報の発信基地になってもらいたい。そのためにも一刻も早く、多くの平成の関矢孫左衛門に集まってもらい、オン・テーブルの機会を作っていただきたい。
 さらに、札幌市側の開拓記念館が入り口になっていますが、林木育種場を江別市側の入り口にしてはどうか。ここで車を降りて、建物に展示してある陳列物などで原始林の歴史を学び、原始林の中に入っていく。又は、NHKで放送されて、市長も江別市の宣伝になったと言わしめた酪農大学のキャンパスと育種場を結ぶ小道を造り、江別市の一観光資源と位置付けをし、学校の協力を得ることでこれまでと違った江別市を紹介し、触れてもらえるのではないか。
 やや古い資料ではあるが、休養林を訪問した目的に、第1位はレクリエーションであったが、植物の観察、自然教育、野鳥や虫の観察が続き、自然に触れる機会ととらえています。
 森の懐に触れる前に、酪農大学で、村野先生の野幌自然休養林の貴重な資料を事前に学ぶことで楽しみが膨らみます。観光客は消費者でもありますから、BSEについての情報もここで得られるでしょうし、バイオガス設備では酪農の新しい技術を学び、農業に興味と親しみを抱く機会になるのではないか。その中から農業の体験希望者が出てくるかもしれません。酪農大学に横浜から入学する女性と話をしましたが、このような若い人たちが江別市に残り、農業や産業に従事してほしいものです。大学にも江別の宣伝部長になってもらう。江別の将来の在り方に学も協力してもらう。
 観光面から森林公園について、お尋ねします。
 1.観光客の入り込み数は、江別市側でカウントした数字でしょうか。それに関連して、江別市を訪れる観光客の年間数はどのくらいでしょうか。
 2.体験型観光として、この森林公園を活用することについて、市長はどのような見解をお持ちでしょうか。
 3.育種場の在り方がこれまでも場当たり的で、日曜日に休憩所として使用する程度で、歴史的建造物として保存管理や市民に開かれた建物として活用しているということには今のところなっていない。自然保護団体や森林保護団体のNPOや民間に運営管理を委ねる構想はないでしょうか。
 4.特に酪農大学との観光の連帯をとることは可能なのかどうか。
 次に、森から川に目を転じましょう。これまでも指摘してきましたが、江別市は石狩川、千歳川、夕張川というと水を治めることを最優先してきました。確かに過去には町の発展と軌を一にして水に悩まされてきました。記録を見ても、昭和29年、昭和36年、昭和37年、昭和40年と続き、江別市開びゃく最高の被害を被ったのは昭和56年8月の集中豪雨で、このときの経験がそれからのまちづくりの基本になったことにはうなずけます。
 各河川の下流に位置する江別市は、治水については他市町村以上の苦慮をしてきたことも理解しています。議会にも治水対策調査特別委員会を設け、行政と一体になって国・道に市民の構想を示してきましたが、ここにきてしゅんせつ、護岸強化、親水地、遊水地の確保と一定の結論を得ました。これまでの水を困ったもの、厄介なものとして治めることを第一是とする姿勢から、これからは本市の地域特性に応じた豊かな自然を観光のポテンシャルとしてとらえることです。
 石狩川については、平成8年の三中の生徒の事件が加わって、川から受けた被害がトラウマになって、42本もある身近な川が遠くにあって思うものにしてきている。自然災害から市民を守ることは当然とし、さらに、個人的には市長の苦い体験もあるでしょうが、鎮魂を込めて、水に近づき親しむことが必要でないでしょうか。自然との付き合いには常に安全を念頭に置かなければなりませんが、それと同時に、必ず自己責任がつきまといます。
 昨年、明政会は四国高知の中村市を訪問してきました。中村市といってもぴんときませんが、日本の代表的な清流の代名詞である四万十川の河口に位置しています。早朝にタクシーで川岸を30分ほどさかのぼってみました。10分走ると、急峻な山に囲まれた谷間をはうように風景が一変しました。雨が4時間も降ると、水量は瞬く間に増えて川の形が変わる。しばらく走って、欄干のない橋を渡った。これが沈下橋と言って、水没することから命名された橋です。流れに逆らわないシンプルな構造にしてあり、安くたくさん造るにはこのような橋になったということですが、千鳥足では渡れないような狭い橋です。市内に戻ると、川に下る狭い道の両側にゲートを上から落とす溝付きのコンクリートで造った門があり、川から100メートル以上も離れ、水面から10メートルほどの高さにあります。増水時は、町の被害を最小限にとどめるためにこのゲートを閉める。ここより下の川の近くに住んでいる人はそれを承知で生活しています。
 清流と言われる川であっても、厳しい自然にさらされているが、一方でこの自然を十分に満喫する施設があり、四万十カヌーとキャンプの里があり、年間90万人が訪れ、遊覧船も就航して50万人が乗っています。堤防内にお祭り広場やゴルフ場があり、堤防がサイクリングロードになっている。
 母なる石狩川はどうでしょうか。江別市観光振興基本計画書にはこう記載されています。河川・湖沼が景観、レクリエーションの資源として生かされていないと見出しを付けて、河川については、石狩川の一部を除いて、公園やレクリエーション空間としての整備はなされていない、と続けています。河川敷緑地にサッカー場や野球場などがありますが、憩いの広場で自然に触れるような場がありません。わずかヨットクラブのリバーセーリングが夏の期間活動しています。
 千歳川についてはどうでしょうか。船着場は正にこの川に設置されました。治水対策は、この川をどう扱うのかに終始してきたといっても過言でありません。
 しかしながら、見方を変えるとそれだけではありません。計画書では河川水の色が江別市の地質的特徴を示す茶褐色で、清流のイメージは得にくいと断定して、柳が繁茂して水辺に近づきにくいという。茶褐色は、浄水場でも厄介者のフミン質ということでしょうが、下流に位置する江別市としてはそれ以外にも原因があります。春の雪解け時の増水が終わると、田植えの水田の水が流れてくる。千歳川が本当に澄んだ川になるのは秋になってからということです。昔ほどではないが、家庭排水も流れてきます。大人は川から子供たちを遠ざけるようになりました。
 ただ、稲作農家は減反を強いられ、水の利用は確実に減ってきているし、家畜のふん尿を初め家庭排水も環境保全から処理装置の設置が広がってきています。川の環境も次第に回復に向かってきているので、水質検査の結果を目に見える形で公表し、市民の河川、水質についての関心を高める努力をしていただきたい。
 市民とともに、江別ほたるの会ができたり、先ほどのヨットクラブが活動したり、さらにはカヌーで他市町村と交流を深めようとしたり、市民が主体的に水辺空間に親しもうとする動きが出てきます、と計画書は述べていますが、遅れている観光事業については、民間が立ち上がってくるのを静観するのではなく、行政が積極的にあの手この手でかかわっていくことが要求されます。
 そこで質問ですが、江別市は、大正初期に商業都市として発達し、外輪船が石狩川舟運として定期船が月 形・石狩間を往復していました。ステーションにこの時代のモニュメントとして飾られる外輪船が、実際に動く船であれば、船着場から石狩港まで遊覧でき、江別市の新しい観光ルートになる。川に浮かぶ船は災害時にも活躍ができ、上流に向かって石狩川ゴルフ場で遊ぶのも、船内での食事も楽しみになります。
 しかし、計画書は、市内の水辺空間は、親水空間や景観資源として十分に生かされていない状況にあるが、近年、都市の潤い空間、生物の生息空間としての河川・水辺空間の役割はますます増大している。総合的な見地に立って、石狩川にいだかれたまちとしてのふさわしい活用を図ること、と言っておりますが、市長としてはこの母なる石狩川の活用をどう図るのか、お知らせください。
 次に、下流に位置する江別市は、単独で解決できない事柄も多く、ステーションの建設を機会に、千歳川流域の市町村で水に親しむコミュニティづくりに取り組む姿勢が要求されるが、市長はどのように考えているのか。コメントがあればお聞きしたい。
 基本計画は、野幌森林公園と石狩川を核にして、個性を生かした観光振興基本計画を策定する。観光資源のネットワーク化や道路交通網の整備、宿泊滞在施設の促進をうたっている。さらにイベント・コンベンションの開催も挙げています。
 そこで、市内に点在する観光資源の目玉である歴史建造物へのアクセスは可能か検証してみましょう。
 岡田倉庫から四季のみちを通って、郷土資料館に寄って旧町村農場で一休み、ガラス工芸館からヒダれんがを回って育種場に、さらにセラミックアートセンターでマグカップを作り、ここから埋蔵文化財センターと見て回る。江別観光協会が発行する図書に従って歩くルートをなぞってみましたが、観光資源はこのほかにもまだたくさんあります。
 しかし、訪問観光者にとっては、これらの物件にアクセスが可能でしょうか。市内に散在する歴史的建造物を公開してもほとんどは無視されてしまう。その他にも火薬庫や屯田本部がありますが、地図を片手に訪ねてもらえるか、大いに疑問です。
 古い建物を保存しているだけでは、観光資源にならないと思います。江別市はどのような歴史をたどってきたのか。先人たちの生活を知ってもらい、その時代にこの建造物がどのような役割を果たしてきたのか、そして今の江別市はどうなっているのかを知ってもらう、これが観光者と江別市との触れ合いだと思います。れんがのまちだかられんがの建造物を残したでは、大きな意味を持たせることができない。歴史的建造物がそれにふさわしい在り方を示すことで、その建物が今に脈々とつながってきた意義を持たせることができます。
 それに、明治村ではないが、訪問者には、歴史的建造物が場所的に集約できていれば、より安全と安心を提供できます。これからはこの視点も保存の要件として検討していただきたい。
 森林公園で野鳥の探索も楽しんだ。登満別でパークゴルフも孫と一緒にプレーをした。千歳川をカヌーで川下りの体験もした。さて日も暮れてきたとなると、宿泊施設になるが、基本計画では、人の動きの大半は札幌経由なので、宿泊観光地としての需要は低いと結論付けている。
 一番大きなイベントが7月のやきもの市であるが、参加者の話を聞くと、2日間車で通ってくる。理由はホテルがないこと。確かに単発のイベントであるが、その他にもスポーツ大会が総合運動公園や市民体育館で行われています。今年は8月下旬にEボートの全国大会が江別市で開かれ、約500人が集うということです。宿泊施設がないことで、交流の親睦会を見送ることになります。やきもの市も一献傾けながら、芸術論を語る機会もなく、そそくさと車に乗り込んで移動する。以前にこれを解決できる提案がありました。
 観光客は、札幌に泊まるという日程では落ち着いて江別の自然を満喫したり体験したりの気持ちの余裕は出てこないでしょう。計画書でも、大きな観光入り込みや観光関連の消費は顕在化する段階に至っていない。いわゆる観光地とは言えないと厳しく自己裁定しているが、そのような地区に、スコットが江別市のためにという入れ込みで進出を計画したのではないのか。ホテルがあることで、観光関連の消費が顕在化するし、雇用も増え、地元の住民もそれなりに貢献できるし、波及効果は大いに期待できるものではなかったのか。この時点でも、私は観光と宿泊施設は切っても切れない関係があると考えています。
 最後に、個人的な感想になりますが、九州の柳川市に行ったときに感じました。筑後川が有明湾に注ぐデルタ地帯で、北原白秋の生家があります。海抜3メートルの平坦な町です。矢部川の水を引き込み、水門によって調整をしている掘り割りが町並みの縦横に流れていて、観光の遊覧船で船旅をする。しかし、本来の意味は、この掘り割りが遊水地の役割をして市街地を守っている。佐賀市や大川市などの海に近い海抜ゼロ地帯は、先人の知恵をこのように生かしながら、水郷とともに暮らしてきた。この水を町中に見たときは奇異な感じを受けましたが、間もなくこれが町だという安心感に変わってきました。人間には水が必要なんです。この風景が 自然だということに気が付いたのです。
 特別委員会で審議の最中ですので踏み込んだ話はしませんが、一般的に言いますと、安定成熟した都市型社会へ急速度で移行している地区では、既成市街地を有効活用するといった画一的な都市づくりから、10年後をイメージしながら、地域コミュニティづくりを目指すべきと思います。
 ここ江別駅前の再開発では、緑の多い親水公園構想を今から準備すべきでないでしょうか。今進めている商業振興で高齢社会は明るくなるのでしょうか。条丁目の人口は今1,200人ほどですが、居住者を2,000人にするにはどのような政策が必要なのかから議論が始まるのではないでしょうか。発想を変えると、全国一の高齢社会で、全国一の安全な町を標ぼうできるようなバリアフリー社会を目指す。江別駅に近いという利便性を利用して、市内各地から、又は近郊から、高齢者がこの江別地区に住みたくなるようなまちづくりをする。
 昨年、総務文教委員会の調査で三重県津市に行きました。デパートが撤退したスペースに市民活動センターが設置されていました。社会福祉協議会の事務所やホームヘルパー養成実習に使用する介護実習室や市民の交流の場としてのふれあいの広場などがありましたが、私の目を引いたのは市民活動オフィスとしてのスペースが用意されていたことです。2.5メートル四方を仕切ったブースが19室あり、中に机、椅子、パソコンがあり、インターネットの接続ができるということでした。
このセンターは、市が施設・設備を用意し、運営は市民が主体的に行う。既にいろいろなボランティア活動やNPOの団体が利用していました。1か月後に行われる三重県海山町の住民投票にある態度を表明している団体が一つのブースを使用していました。津市が、このセンターを思想・信条にかかわりなく、広く市民に開放している姿勢を感じてきました。
 江別市も業務施設の中に公共部門を確保し、NPOやボランティア団体がお互いに情報交流スペースを利用しながら、新しい社会づくりの拠点になるよう、配慮を願いたい。
 ここで質問に移ります。
 江別市の観光事業を語るには、宿泊施設を避けて通れません。スコットの進出計画は白紙に戻って、今は一とんざといった状態ですが、江別市側の条件整備が整えば、再考するという前向きにとらえているとのことでした。江別駅前ということでなくても、各種イベントやコンベンションを実りの多い事業にするにも、宿泊施設は是非整えてほしい施設であります。これまでの経緯やこれからの動向について市長の見解をお知らせください。
 以上で第1回目の質問を終わります。

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