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平成17年第2回江別市議会会議録(第3号)平成17年6月17日 10ページ

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年1月30日更新

 6 議事次第の続き

一般質問の続き

清水直幸君

 次に、被災された市民のすべての方々が、運良く収容避難所に収容されたと想定して質問をさせていただきたいと思います。
 収容避難所の多くが学校、その他の屋内体育施設であります。新潟県中越地震で震度6強の地震があったのは平成16年10月23日の夕方5時56分であります。運良く積雪時期の寸前でありました。夕方でもありましたので、死者、重軽傷者も約3,000人の犠牲者が出ましたが、もし2か月遅れで、しかも深夜でありましたらけた違いの数に上っていたと想像されています。北海道の厳寒期において同規模の災害に襲われれば多くの市民の方々が凍死されるかもしれない。
 震災後、新潟の小学校の体育館で避難生活を余儀なくされたご婦人が、何が欲しいですかという問いに、温かいお茶が欲しいとおっしゃったそうです。救援物資の中には多くの電気湯沸器があったのですが、体育館にはコンセントがなく、お湯を沸かすこともままならなかったということでした。
 そこで、収容所の多くを占める屋内体育施設に関する避難場所、避難生活場所としての最低限度の設備についてどのようにお考えになられているのか。現状と、また今後なさねばならぬ施設改修についてどのように考えておられるのかお答えいただきたいと思います。
 災害時の避難生活時の生活物資についてもお聞きいたします。
 避難生活が短期間で終わるか長期に及ぶかにより、大きく必要物資が異なってくるとは思いますが、最低限度の水、食糧、毛布などの備蓄が必要と考えられます。もちろん、ライフラインの確保は最優先でありますが、水道、電気、ガスの各ラインがずたずたにされた場合を想定しなければならず、その際の生活物資の備蓄についてであります。この質問は3月、そして昨日も同僚の島田議員からの質問にも関連しますが、生活物資の備蓄は広範囲の自治体間の協定により、リスクと経費の分担が行われるべきと考えますがいかがお考えでしょうか。
 新潟県中越地震では、規模の大きな余震が広範囲に発生しました。この地震により、小千谷市、山古志村、川口町、長岡市、堀之内町など、大きな揺れや地滑り、斜面崩壊により、住宅や道路、鉄道、河川施設などで大きな災害が発生しました。ですから、近隣自治体では、相互に生活物資の備蓄を送り合うということは到底不可能であり、道内でもある程度離れた自治体との協力関係を結ばないと全く機能を果たさないわけであります。しかも、同じ活断層の上では心もとなく、相手自治体が被災されても江別市には微震もない、若しくは、江別市が被災しても相手自治体はびくともしていないような地域を検討の対象としなければならないですが、この点についてはいかがお考えでしょうか。
 この問題の最後としますが、江別市では大火や大水害の経験があります。市民にとっては身近な自然災害はやはり水害でありましょう。しかし、水害にはある程度、要注意とされる時期と地域的な予想がなされます。しかし、地震には命を守るためのわずかなチャンスが残されているだけであります。震災に対する現実的な備えをどのようにされ、江別市民の命と財産を守っていかれるのか。そのスケジュールについてもお答えいただきたいと思います。
 次の質問に移ります。
 インドの偉大な指導者ガンジーは、亡くなる前に、資本主義社会がこのまま進めば以下のような不都合な事態が生じると予言したそうであります。1.理念なき政治、2.労働なき富、3.良心なき快楽、4.人格なき学識、5.道徳なき商業、6.人間性なき科学、7.献身なき信仰。正に現代の日本はガンジーの予言どおりになってしまったようです。もちろん、私も資本主義論者でありますので、身を引き締める思いで我が振り直そうとは思いますが、ガンジーの言葉のすべてを相互に入れ替えることが立体的に理解できると考えます。つまり、理念なき、労働なき、良心なき、人格なき、道徳なき、人間性なき、献身なきです。その後に各々がなくしてはならないと思われる事項を当てはめると良く見えてくると思います。最も当てはまるのが教育ではないかと考えるものであります。
 教育には二面あると思います。
 一つは、その子が持つ能力なり個性なりを周りが邪魔しないですくすく育ててやること。俗に言う個性を伸ばすということであり、今一つは、その子の考えとか好みには一切関係なく、たとえ嫌でもしなければならないこと、したくてもやってはいけないことをきちんと教え込んで、社会の構成員として立派に生きていけるようにしてやるということです。この二つは、言わば教育の両輪で、どちらにも偏ることなくバランスを保つことが重要であると思います。日本の教育、これは学校でも家庭でもということでありますが、現状を眺めるに、余りにも前者に偏り過ぎているのではないかと思うのであります。そして、そのことがいろいろな問題の根源にあるのではないかと思われてくるのです。
 では、なぜそうなるのか。美しい言葉でいろいろ言えるでしょうが、平たく言えば、その方が楽だからではないかと、そう思うのです。子供がしたいことをやらせ、欲しいものを与える方がそれは楽です。少なくとも、そのときには摩擦は起こらないし、子供のにこにこ顔を見ることができて、教師も親もいい気分になれます。そして、その大きな付けがやがてどんとやってくるのであります。子供を駄目にする確実な方法がある。それは子供が欲しがるものを何でも与えることであるというルソーの言葉を、教育する立場の大人がしっかりと心に刻み込んでおかなければならないと思います。子供との摩擦を恐れる大人に、教育にかかわる資格はないであろうと、そう考えられるものでもあります。
 私は平成13年に義務教育教科書の採択に関する質問をさせていただきました。今年は文部科学省で検定された中学校の教科書が各地で採択される年であります。そこで、その後の我が市及び当地区、教科用図書採択地区教育委員会協議会での進ちょく状況についてお尋ねいたします。
 前回、平成13年3月に教育長より、今後における選定委員会の選定につきましては、教科書の選定に当たって、より広い視野からの意見反映をさせることが大切であると考えますので、保護者や各分野における有識者の選任を促進していくことが道教委の考え方でありますので、採択地区教育委員会協議会におきましても、そのことが反映されるものであると考えているところでございます。採択に当たっての中立性の保持につきましては、今後広い分野における有識者の人数を増やすなどの方向で向かっておりますのでご理解をいただきたいと思いますとお答えをいただきましたが、構成メンバーや人数についてはどのような変更がなされたのかお答えいただきたいと思います。
 また、前回要望いたしましたように、教科書の採択には専門的な知識が大変必要であります。それも、委員の一つの条件でありますけれども、今、この状況で必要なのは一般的な良識、日本国民としての愛情と自覚を持つような方々の委員会への参加が必要ではないかと、各地区の教育委員会の各メンバーの皆さんを含め、父母、PTAの参画をもっと増やしていただきたい。また、その経過、また、理由、もしできるならば、各メンバーからの意見なども公表・公開できるような体制を今から考えていただきたいと申し上げましたが、どのようにお取扱いになったかお聞かせいただきたいと思います。
 また、本日より市教委の1階だと思います。新しい、今年採択されるであろう教科書が、見本の教科書が閲覧できることになっております。関心のある皆さん、是非、特に歴史の教科書。実際どのような教育がなされているのか見ていただいてご意見をちょうだいしたいものだなと思っているところであります。
 最後になりましたが、平成3年から長期にわたり、江別市の教育に対し熱意を持って務められた安孫子委員長、誠に残念でありますが6月29日をもちましてご勇退されるとのこと。北海道の、そして江別市の経済状態が低空飛行から脱出することができず、市民生活にも疲労の色を隠せない状況が続く中、市内の経済界が、そのリーダーシップに大いに期待し、安孫子委員長は新しいステージに向かわれるわけであります。そこで、委員長としての教育に対する熱い思いをお聞かせいただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
 以上をもちまして、第1回目の質問を終了させていただきます。

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