平成16年第4回江別市議会会議録(第1号)平成16年12月6日 8ページ
6 議事次第の続き
報告第32号
議長(宮澤 義明 君)
日程第18 報告第32号 海外先進都市行政調査報告についてを議題といたします。
植松議員の報告を求めます。
植松 直 君
今回の参加者は、女性は市会議員1人を含め4人と男性は3人の7人のチーム編成で、議員のほかは市の行政に携わる人たちと一緒でした。
私たち男性は、訪問する各国の高齢者福祉制度について調査、研修を主眼としておりました。女性陣は、少子化問題と教育についての調査で、同じところで異なる分野に臨むことになりました。
最初に訪問したところは、デンマークの首都コペンハーゲンです。福祉というと私の頭にはスウェーデンが浮かびますが、現地を訪問して、北欧の福祉の原点はこのデンマークにあったのではないかと思われました。日本でもおなじみのノーマライゼーションという言葉は、このデンマークで最初に使われたのです。
研修先は、世界各国から視察に訪れる人々を受け入れるコペンハーゲン市の研修機関として公認されているワンダフルコペンハーゲンという団体で、その事務所で部長のアンさんにレクチャーを受けました。
まず、コペンハーゲン市についての話から始まりました。デンマークの人口は530万人で、コペンハーゲンには50万人が住んでいる。行政区分として国・県・地方自治体としての市町村があり、コペンハーゲンは大きな都市なので、市が県を兼ねている。行政の役割ははっきりしていて、国は最低限の枠組みづくりをする。この枠組みの指示を受けて県と市が国の提案内容を検討し、各自治体がその実行内容について独自に決めることになっています。
県の範囲は、病院の経営と大きな財源を必要とする事業にかかわり、市は、市民に一番近いところにあることから、日常の福祉事業である在宅介護や高齢者向けの医療を兼ねた集団居住施設(プライエム)の管理運営に当たる。プライエムはナーシングホームで、日本では特別養護老人ホームに当たるような施設です。工業化に力を入れた1960年代から子供たちは18歳で独立し、核家族化が進んだ。次第に親も高齢になり、日常の生活に支障を来すようになるが、もともと子供が親の面倒を見るといった慣例がないこともあり、高齢者が即病人という扱いを受けて、全国的に大規模なプライエムが建設され、多くのお年寄りがこの施設に収容された。肉体的に支障のない健康な高齢者もこの施設に入れられたということです。
しかしながら、高齢者が増え続け、80年代になると国の財政に占める福祉の割合が増大し、赤字が続くようになり、これ以上財政負担を増やさないで、福祉の質を維持する施策はないのか検討せざるを得なくなった。市民の各階層から広く意見を聴く公聴会が設けられ、これからの福祉の在り方を模索する中で、高齢者は自宅で暮らしたいという声が大半を占め、どのように実現するかが課題になった。100人から300人収容する大規模なプライエムはサービスの画一化に不満を持つ入居者が多く、さらに財政上の問題も生じて、10年を待たずに1988年にこのような施設の新設は禁止となった。
年を取ることは病気と言えず、だれでも住み慣れた在宅を望む。しかし、子供も夫婦も仕事を持っていては介護のマンパワーとしての資源にはなり得なかった。このような社会情勢の中では、高齢者の介護や医療保健サービスは公共部門の責任ととらえ、地方自治体の重要な仕事となった。
そこで、審議会は次の3原則を打ち出した。一つ、継続性の原則。高齢者がこれまでの生活を続けること。すなわち、自分の家で、地域で自分らしく生活をする。二つ目、自己決定の原則。自分の生活の仕方は自分で決める。すなわち、高齢者の主体性と自由を尊重することを意味し、これを保障することで自分らしく残された人生を悔いなく生きることになる。三つ目、自己資源開発の原則。新たな能力を開発し、生活に潤いと快適さをもたらし、これまで以上に生きがいと誇りを持って過ごすことができる。すなわち、リハビリや作業療法を受けて潜在的な能力を引き出し、在宅での生活をできる限り長く快適に続けられるように援助すること。
在宅生活を支えることが大きなテーマになったが、どのように支えるのか。
コーディネーターと言われるケアマネジャーは、要介護者に近いところにオフィスを構えていて、より細かな対応ができるように配慮している。ホームヘルパーも含めて介護員はすべて公務員である。介護職員はどの くらいいるのかと聞くが、常に流動的に確実な数字は分からないが、ほとんど女性であるということであっ た。ホームヘルパーは月給制で通常週三十五、六時間働き、おおよそ年に20万から22万クローネ(360万円から396万円)の収入がある。子供が小さいときは5時間のパートタイムを選び、その後はフルで働くといった選択も可能である。
サービスを受けている高齢者の満足度は80%を超える。サービスの向上を競う意味から民間業者を受け入れた。ほとんどが外国の業者であった。そのときは5%の利用があったが、利用料の負担は民間のサービスであっても公が支払うので、サービスの質の管理を市がしなければならない。100社ほど進出してきたが、管理の目が届かなくなり、徐々に整理することになって、今は1%ほどの利用率である。福祉の分野での市場原理は、この国では残念ながら通用しなかったと言えます。
ここで、医療との関係について言及すべきと思いますが、時間の関係もあり、福祉に関係するところだけ述べることにします。
今回訪問した3カ国とも同じシステムでしたが、病院は国か県が経営しています。急病は別として、病気になっても本人が直接このような病院で治療を受けることができません。市民一人ひとりは必ずGPといって掛かり付け医を持っています。GPの手に負えない病気や入院を要する場合は、GPの紹介状を持って病院に行くことになります。
高齢者で痴ほうになり、常時介助が必要になると病院に送り込んできましたが、満杯になって病院としての役目が果たせなくなって、プライエムの建設が行われました。病院での治療を終えると、病院はホームヘルパーに退院を伝え、ホームヘルパーは2時間以内に病院に出向き、退院後のアフターケアについて相談、打合せをすることになっている。
施設から在宅へと介護のサービスは変わってきたが、寝たきりの高齢者でも最低限のサービスとして1日に1回はベッドから起こすことと、24時間対応できる体制を構築すること。これを市民との対話を通しながら実現してきました。その下地は、第2次世界大戦で中立・不戦を唱えていたが、宣告もなくドイツに占領され、このときナチスに抵抗する国民的組織が作られ、ノーマライゼーションの父であるバンク・ミケルセンは学生であったが、レジスタンス運動に身を投じています。
一般国民は、解放を勝ち取った自らの経験から戦後の民主主義が大きく前進することを知った。一人ひとりが声を上げ、討論に参加することを自らの義務と考え、政治に参加する権利を強く持つ国民になっている。これが先ほどの公聴会につながっているわけで、障がい者福祉に使われたノーマライゼーションの精神が福祉政策全般に影響を与えました。
教育についても、自由と自己責任の気概を植え付けてきたこの国の在り方も大きく影響している。
行政が法律を作るときも、内容・素案を提示し、国民の意見を聴くシステムになっていて、政治家がこのプロセスを大切にしているので大きな信頼を得ている。この国の政治については報告書に触れていますので、そちらを参照してください。
政治の基本姿勢は、議題の審議は常に市民に知らされ、その中で意見をくみ上げる政治システムが常識になっている。日本で声高に言われている情報開示、説明責任は、このデンマークではこの国の在り方そのものになっている。
アン先生いわく、この国の公務員や議員は自らの利害関係で動くことがないことから、汚職もわいろも無縁の国と信じていると胸を張った。
国の総予算額に占める社会保障、福祉関係費は43%を占めています。これに教育と保健関係を加えると68%と、約7割を占めることになります。この数字は世界一で、一言で言えば生活大国ということになります。
医療、福祉、教育、年金はすべて国を含めて公の負担になっています。国・県・市の役割分担があると言いましたが、市民に一番近いところで日常業務に当たる市が一番大きな金額を管理しています。所得税は50%を超え、消費税も25%で、収入に占める税金は54%にもなります。これは普通の国民の負担であり、高額所得者は累進課税になっていて、もっと高い税金を払っています。これを財源にして、社会保障が平等に行われ、老後の心配や育児も教育も保障されている。当然貯蓄に回すことができませんが、高福祉の実態を知れば個人的にためておく必要がなくなり、税金は国・市に貯金をしていると考えれば十分納得のいくことになります。高負担は、お金の使い道にも監視の目が厳しくなることを意味し、当然議員が説明をし、市民の意見をくみ上げる政治の在り方がこの国にはあります。必要であれば負担も致し方ない。この精神も大事です。
このような負担は、雇用を確保することで維持できるのです。意外なことに、最強列国のEUの中にあって機械産業や農業を守るために補助金を出しているということも驚きでした。統一通貨ユーロを採用しないのは、EUの規制緩和を強制されて国内産業を衰退させないためでもあります。
高福祉のデンマークにもそれなりの問題を抱えています。45から64歳の自殺者が自殺者全体の40%で、日本に次いで高率であり、社会問題化しています。アンさんは、原因は分からない。自殺者に聞いてくれと言ったが、その他にも若者の非行・麻薬問題など由々しき現状もあります。お年寄りが生きる意欲を失ったとは言えないだろうが、すべてが満たされても、そのほかにも違った問題があるのかもしれません。この解明は次の機会にとっておくことにします。
デンマークは、この世の極楽浄土ではないが、福祉先進国として多くの事柄を学んできました。
次は、2番目に訪問したスウェーデンのストックホルムについて報告いたします。
レクチャーはマルガレータさんといって、最近、市会議員を辞めた法律家の70歳くらいのご婦人でした。市役所の庁舎に視察研修を受け入れる部門があります。
まずは、ストックホルムについて簡単な説明があり、スウェーデンの人口は約880万人でストックホルムには76万人が住み、水に囲まれた首都である。他の市と比較しても、当市はこれまでも人口は増加し続けてきた。
都市景観を保つということでは、古い建物との調和を図ることから、5階以上の建物は許可を必要とし、大きさ、色についても行政が関与することになっている。大きな特徴としては、1、国・県・市町村がそれぞれの行政について役割分担をしている。2、現在革新系の政党が多数を占めているが、自然環境や旧施設等を守ることには保守系も政策的には同調している。3、新しいまちづくりを進めている。臨海地区の工場地帯を住宅地に衣替えをしている。8,000戸の住宅を建設し、4万人が入居するアパートが完成する予定である。環境に優しいまちづくりが基本であるが、自然との摩擦が生じた場合は行政が強く干渉することになる。これには市民の参加が条件になる。
市の中心部には76万人が居住するが、大ストックホルム、県ということでしょうかこの人口は200万人になる。1920年代になると若者が町の工場に就職し、村を出たことで親子の関係が希薄になってきた。1940年代には共働きをしなければ暮らしていけなくなり、主婦が外に職を求めたことから、子供の保育が社会の責任となり、保育園や幼稚園の運営を公が担うことになる。急増する保育や高齢者福祉、医療のニーズに対応するのに、多くの女性が福祉や医療現場で働き始めた。
このように社会が大きく変わり始めたことで、財源の確保が難しくなり、1960年に消費税4%を導入せざるを得なくなった。このときの高齢化率は12%であった。
国民は充実した福祉を望むが、それを提供するのは基本的には企業の力がなければならない。当時としては国際競争力もあり、福祉に回せる余裕があったということが言えます。長生きする自分の親の面倒をどう見るのかが時代の大きなテーマになり、次第に条例として整備され、高齢者、児童、障がい者、基礎教育の分野を市の責任として取り組むようになってきた。その責任とは、市、県、国と、それぞれが取り組む責任の範囲が決められている。国は制度を決めること。県は、救急医療、精神医療、老人医療、地域の医療センター、在宅介護、送迎サービス。市は、デイケア・ホームヘルプ事業、配食サービス、高齢者用住宅の運営、その他市民に一番近いところでの介護まで全般的に責任を持つ。
これらの目標をどのように達成するかは法律を制定し、市の政治的判断によって実行されるが、それも国や市の経済状況によるところが大である。それゆえに、県や市の実施内容は地区によって若干違うが、ストックホルム市の予算はうまくいっていると言えるのではないか。
ストックホルム市で働く公務員は約4万6,000人いるが、主な職種としては公的セクター、ホームヘルパー、先生と事務職員である。
1997年に経済危機を迎え、その解決策として議員が各区に足を運び、小さな地区でできることは何か、自分たちでできることは何があるのかについて市民とじっくり話合いを続けた。そこで出た結論は、サービスの内容はその地区で自由に決めることになった。福祉の予算も大きくなり、財政破たんを招く大きな要因でもあり、話合いの結果として大きな施設から自宅での生活支援をすることになった。今は1万8,000人がホームヘルパーの在宅支援を受けている。特に、ヘルパーは高齢者が孤独にならないように掃除や食事の用意のほかに、散歩や話し相手になることが大きな仕事になっている。時には14日間のショートステイを勧める。そこでの仲間づくりと集団に慣れることがこれからの高齢社会には必要なことである。
すべての要望にこたえることは不可能であるが、一人ひとりが何を必要とするのかを高齢者の声を聞いてこたえるようにしたい。個人の尊重、より良い生活の質が考え方の土台になっている。
今日の高齢者福祉の目標は、住み慣れた環境で日常生活に必要なサービスを提供し、自宅に住み続けることができるようにすることです。
高齢者の福祉サービスの公平を図る制度として、早くから高齢者オンブズマン制度を採用し、差別や苦情の受付を行ってきた。その内容については、1年に1回市議会に報告され、それを基にしてサービスの内容について検討されてきた。
マルガレータ女史に、スウェーデンはなぜ急速に高福祉国家になったのかと質問すると、即座に、180年も戦争をしなかった平和主義にあると答えた。女性の社会進出が行政主導型の児童や高齢者、障がい者への公共福祉と公共医療制度を充実させてきた。親の扶養義務が廃止され、これが個人から社会に置き換えることになった。70年代に急速な高齢化と労働力不足が深刻になり、外国から労働者の受入れが始まったことと、女性の社会参加で出生率の低下を招き、老人の孤独化が社会問題になった。現在は、社会民主党が政権についている。社会民主党は、これまでの福祉政策に取り組んで、高負担・高福祉を実施してきたが、ここに来て少子高齢化が顕著になり、財源確保が難しくなると懸念されることから、このままの福祉政策が維持できるのか、国民の中に異論が出始めている。
次は、最後に訪れたイギリスについて報告いたします。
チューダーハウスという滞在型の看護付き施設で、日本でいう特別養護老人ホームを訪問しました。福祉先進国と同じようにイギリスも高齢者の長期療養機関が閉鎖されて、多くの高齢者がナーシングホームに移されました。ナーシングホームは、何らかの病気、けが、老衰によって苦しむ人々を受け入れ、看護を提供するために使われる場所と規定している。この施設は民間経営で、クロイドン区の福祉サービスの登録監査を受けて運営されている。説明する施設長のグレイスさんは、看護師の資格を持っている。
この建物は、1999年に新設をした。この場所に病院があり、50人の患者が治療を受けていたが、福祉・医療制度が大きく変化し、病院としての経営ができないということから思い切って取り壊し、この施設を造った。規模は、1階11人、2・3階は各13人で、37人の受入れができるが、現在は34人が入居している。1階には、事務所、キッチン、ダイニングルーム、図書室、喫煙室とスタッフの詰所がある。入居者の居間は小キッチン、トイレとベッドがある。スタッフは、法で決められた人数より多く配置している。ホームマネジャー1名、レジスターナース2名、ケアラー6名。この施設に入る前からかかわってきたケアワーカーがいれば、顔見知りの元の人ということで来てもらっている。施設が変わることは大きな変化となり、動揺を与えるので、ケアラーが代わらないことは安らぎを与えることになる。
施設で働くスタッフは、キッチンスタッフ、ハウスキーパー、ドメスティック、洗濯、コック、キッチンアシスト、それにボランティアが庭の手入れをしている。コックは週末の金、土に来て、日曜日のサンデーロースト(焼き肉)の準備をする。
1999年11月開設と同時に、社会福祉の分野でこれまで長く待機を余儀なくされていた人を入所させた。多くの高齢者長期療養病棟が閉鎖され、ナーシングホームがその受皿になるように努めたが、地域によっては順調に移行できないところもあった。それはレジデンシャル・ケアホームやナーシングホームなど、ソーシャル・ケアとしての施設ケア入所に責任を持つようになったのは地方自治体であり、財政上の問題もあり、すぐには対応ができない地区もある。
2人部屋は各階に3室あり、他は1人部屋になっている。ふろ、トイレ付きで電話は希望により設置している。好きな家具を持ち込み、自分の家になっている。ロンドンの医療福祉政策は、200人から300人の大きな組織はクローズする。地方自治体の大きな施設は閉鎖する。老人病院の200床は必要ないという基本的な政策変更が始まった。2007年の新しい施設の規制の中で、家庭的な雰囲気で自分の家としての居住区域の制限とヘアルームを設けるということと、地方自治体の財政負担軽減から、39ないし50床の規模はスタッフの給料が総体的に大きくなると計算されたことから、このチューダーハウスは37人定員の施設にした。今、入居している人は老人ホーム対象者は2名、ターミナルケアはゼロ、痴ほう者もゼロ、ほとんどは身体的弱者と言われる人で、高齢で精神障がいを持っている人たちです。国民は必ず家庭医、先ほどから言っているGPというのはジェネラル・プラクティス、この家庭医を持たなければならない。ここの入居者もGPが付いていて、遠くから来た人はGPを登録し直すことになります。34人の入居者には、GPは4人付いています。
一通りの説明を終えて、施設を案内してもらいました。1階のリビングルーム兼ダイニングルームには、朝食後の排せつを終えた入所者ほとんどが集まっていました。90歳代の超高齢者が2人と言っていたが、全体は後期高齢者の集団と思われた。こちらのあいさつに目を向けてもらえた人は四、五人であった。既に居眠りをしている人もいる。テレビがついていたが、その周りは5人ほどで、話し声もなく、静かな集まりでもある。車いすを利用しているお年寄りも多数見掛けた。ヘルパーは、入居者を居間に集めて、各部屋のベッドメーキングや個室の掃除に汗を流す時間帯でもある。イギリスは特に顕著だが、移動介助に直接体を持ち上げたりせずに、道具を使って利用者の安全とヘルパーの腰痛保護に努めている。介助の難しいふろ場にリフトが設置されていた。遅く目覚めて朝食の最中の婦人の個室を見せてもらいました。作り付けのタンスや小物入れの引き出しがあり、その上に夫の写真、小さなテレビ、花が飾ってあった。8畳ほどの部屋にはベッドが置かれている。スタッフルームには、壁に緊急用の通報装置があり、24時間の看護体制がとられている。キッチンは10畳ほどの広さで、流しやステンレスのテーブルにはトースターやコーヒーポットなどが整然と並び、ガステーブルもコンパクトで小さなものであった。今、朝番が帰り、間もなく昼番のアシストが出てくると言いながらも、調理担当者の手は忙しく動いていた。
読書室は、廊下の突き当たりのスペースを利用し、半円で庭に突き出している。採光もよく、落ち着いた雰囲気を醸し出しているが、本を読んでいる人はいなかった。
入所者と話をする機会がなかったが、介護用のナーシングホームは今イギリスの主流になっている。今の入所者がターミナルを迎えるようになるのは明らかである。
グレイスさんはこう答えた。施設を変えることは高齢者にとって苦痛を伴うことなので、私たちはここで最期までケアをしたいし、できる体制を持っていると確信している。他のヨーロッパの高福祉国と同じように、自治体の財政上の問題から、医療をはじめ福祉・年金と、新しいシステムの構築に向かうでしょう。特にイギリスは少子化がますます進むと予想されていますし、80歳以上の超高齢者が増えることと、五、六十年代に労働者として移民してきた人たちが高齢化を迎える。これからどのように対応すべきか、サービス低下の不安に駆られながら、行政も国民も新しいシステムを生み出す努力をしています。あなたたちが再びイギリスを訪ねてくる機会があれば、そのときはすっかり変わった社会に出くわすでしょう。
以上が、10月12日から20日まで9日間の視察研修の報告であります。
女性陣は、少子化、児童福祉、保育を含めた教育制度の分野で精力的に研修を積んでいました。夜に全員が集まり、研修内容について熱心に話合いをしてきました。その方面についても概括的に報告すべきかもしれませんが、時間の都合もあり割愛させていただきます。
参加者の立場によって幾分かの認識の違いがありましたが、7人全員が自分なりのレポートをまとめています。それを今回参加したメンバー全員に配付することになっています。見ると聞くとでは大違いという事柄がたくさんありました。市の職員で一番若い女性は、このように先進的な政策に触れた私たちが、それぞれの自治体や立場で働き、啓発することによって、きっと国の流れも変わっていくと思います、だから、頑張りましょうと言って別れました。若い体験が一粒の麦になることを確信しております。
私に対しましても今回温かく視察研修に送り出していただき、お礼を申し上げて報告を終わります。
どうもありがとうございました。