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平成16年第2回江別市議会会議録(第2号)平成16年6月10日 4ページ

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年1月30日更新

6 議事次第の続き

一般質問の続き

議長(宮澤義明君) 

 以上をもって植松議員の一般質問を終結いたします。
 一般質問を続行いたします。
 丸岡議員の支援の在り方についてほか1件についての質問を許します。通告時間30分。

丸岡久信君

 ただいま植松議員、一番バッターとおっしゃいましたが、大変重厚な論文で、一番というよりは四番バッターに匹敵するような力量を発揮されたんだと思います。残念ながら私、植松議員を進塁させるような力量がありませんので、あらかじめお断りをしておきたいと思います。
 質問に入ります前に、過日、イラクの地で戦争の惨状を伝えておられましたジャーナリスト2人が死亡されました。心からお悔やみを申し上げたいと存じます。
 そして、また北海道にゆかりの深い自衛隊の皆さんが第一陣としてイラクの地で活動されました。任務を終えられまして、全員無事に帰還をなさいました。隊員の皆様はもとより、ご家族のご心労を思うとき、心からおねぎらいを申し上げたいと存じます。
 それと同時に、自衛隊の皆さんは崇高な理念といいますか、国を守り、そして日本国民を守るという崇高な理念をお持ちなんだろうと思います。その自衛隊の皆さんがかのイラクの地で、ブッシュさんと小泉さんのために犠牲になることの無念さを味わわなかったことに心からご同慶申し上げたいと存じます。
 また、先立つこと数か月前にイラクの地に出向かれまして、そして人質という運命に遭われました若い皆さんの非常な使命感といいますか、そういった行動に、今までともすれば今の若い人たちはという見方がたくさんされたわけで、私もそのような見方をしていたわけですが、そういった命をとして崇高な任務に当たるという心意気に感動をいたしました。そしてかの地に人質という過酷な環境に置かれ、そして帰ってきてからも非情な中傷、非難を浴びるという非常に厳しい状況に置かれたことに対しまして、心からご同情を申し上げたいと思います。
 いろいろとこの行動に対して論議があるのは当然でありますが、私は私流に考えますと、あの人たちも崇高な理念を持ちながらも、行動しなければ何も非難をされることがなかったのになあと。私のような理念も行動力もない人間は、まずそんなふうに考えたわけでありますが、しかし、そのような思いを多くする社会があるとすれば、その社会は内向きの社会であり、発展に乏しい社会になるのではないかと、そんな思いもいたします。
 戦後日本が世界に飛躍し経済大国という評価を受けましたのも、やはりそういった困難を恐れず、危険を恐れず世界各地に飛び回っていったその勇気と行動力が、そういった成果をもたらしたものだなあと私はそんなふうに思っております。
 今、ブッシュ政権が有無を言わさず始めましたイラクの戦争、そして、そのかの地で行われております拷問、虐待を見ますと、ともすれば反米、嫌米の感情に赴かざるを得ないような心境になりますけれども、しかし、先ほどのイラク人質問題に関して、アメリカの高官はいち早くこういった国民がいることは誇りにすべきだと、そんなふうに言われました。そして、またアメリカのジャーナリズムは拷問、虐待の実態をいち早く世界に発信をいたしました。大変な圧力があっただろうと思います。そしてまた同じような、かつて昔、堀江青年が太平洋を横断したとき、日本中は大変非難の渦でした。そして、そのときにかの三島由紀夫は次のように言っています。それならば、品行方正な模範青年にあのような偉業ができたのか、そのように言われました。
 そういった状況の中で、アメリカ人はいち早く堀江青年を大歓迎したと伝えられています。先ほどのアメリカの高官といいジャーナリズムといい、ブッシュ政権とはまた違ったアメリカの一面を見た思いがいたします。
 支援制度の在り方についてご質問をいたしたいと存じます。
 地方への大変大きな財政的な負担といいますか、非常に厳しい状況に置かれているわけでありまして、しかし、その中でも住民の一番の接点にあります地方の自治体は、支援政策をとっていかなければならない、そういうことにあります。そして、ともすれば、やはり一番弱いところに一番大きな負担がかかっていくような気もいたしております。私はそういった中で、支援の在り方ということを考えてみたいと思います。
 江別市にも支援制度、江別市の各部に大なり小なり、多かれ少なかれ一つや二つの支援制度はあるんだと思いますが、その支援制度の在り方のほとんどが年齢でもって支援をするかしないかを判断をする、そういう方式が非常に多いんではなかろうかと思います。ある年齢に達したらこういう支援を始めます、ある年齢までは支援を続けますといった、そういった支援の在り方があるのだと思います。
 しかし、この支援の在り方、これは30年代、40年代にほとんどこういった支援の原型ができて、そして、その後、50年、60年代にその拡充を図ってきたものだというふうに思っています。
 そんな中で、この支援、大変有効な支援の在り方だと思っています。年齢すべてに行き渡るわけですから、ここで情実が絡むといったような疑いを持たれることが少ないわけでありますし、そして、平等に渡るということはそれなりの公平性、信頼性を保つ。そういった意味では非常にいい制度だと思いますし、何よりもその事務処理に当たって、非常に効率的であるということが挙げられるだろうと思います。それでありますから、国をはじめ都道府県、市町村、ほとんどの団体でこういった助成とか支援の制度には、こういう方式を採用されているのだと、そういうふうに思います。
しかし、この支援も側面から見てみますと、支援を受ける人にとっては、本当に支援を必要としている人にもそのまま支援が行き渡らないという反面、支援がみんなに行き渡ってしまうということであります。むしろ必要でない人にも行き渡ってしまうという欠点があるのだと思います。30~40年代、この多くの制度ができかかった時代は、ともに皆さんが貧しかった時代でありますから、ともにみんなが受けられるということは、非常に価値のあることだっただろうと思いますし、また、高度成長時代をはじめ多少余裕のある財政であった時代には、それなりの底上げ拡充をすることによって、皆さんの満足感を得たと、そういうことにあったのだろうと思います。
しかし、今は非常に厳しい財政の状況にありますから、こういった制度も、好むと好まざるとにかかわらず厳しい状況が迫っているわけですから、その状況に合わせた支援の在り方も考えなければいけない時代になったのではないかなと、そんなふうに思います。
 したがいまして、この支援を年齢で区切ることなく、別の方法、例えば本当に支援を求めている人には、その支援を求めていることを的確に伝えるという福祉の原点に立ち返るべきではないかと思います。そうすることによって、この貴重な今の厳しい財源の中から支援費に充てるわけですから、困った人に的確に最低限の支援をすることができると。そして、また、別途支援を余り受けなくてもいい、あるいは受けなくても何とか自立をできるという人には、それなりの自立をしていただくということが、これからの貴重な財源を使っていく非常に重要なことだと私は思います。
しかし、口では言いますが、これは非常に難しいことだと思います。どういうふうに作業効率を上げていくかも非常に重要ですし、だれがどのように困っているかをだれが判断するのか、一番難しい課題であるだろうと思います。私、このように申し上げておりますが、各地の実例、あるいは世界の実例でこういったことをやっている先例を調べておりませんし、私の案も持ち合わせてはおりません。ただ、一方的に申し上げて何とかしろと言っているに等しいわけで、大変心苦しいわけではありますが、やはりこれにこたえて江別方式として、日本中に発信していくのも時代の役割ではないかなあと、そんなふうに思っています。
 例えば、私、思い付きの域を出ませんが、こういったある支援策に対して、10項目も100項目もいろいろ該当する項目をずっと挙げていって、それをチェックしていって、例えばそれの70%、80%該当すれば支援をするとか、そういったある意味で機械的な部分と、公平性の部分をそういうところで担保しながら、何とかやる方法はないものかなというふうには思いますが、思い付きの域を出ませんので、それ以上は申し上げませんが、どうかそういったことで支援の在り方、貴重な財源を使いながら的確に支援をするような方式を何とか工夫をしてもらえないかなあと、そんなふうに思っています。そうでなければ、この支援制度そのものが、今はやりの自己責任の名の下に大きく縮小され、あるいは廃止をされるおそれさえあるのではないか、そんなことをきぐするわけであります。
 自分のことは自分で守れということがよく言われますが、今、支援を受けなければいけない人たちのすべてがキリギリスの生活をして、今支援を求めようとしている人ばかりではありません。いろいろな病気や事故、あるいはチャンスに間に合わなかった人たちが、やむを得ずこういった状況に置かれている方もたくさんおられると承知をいたしております。この物余りの世の中で、わずかな物に囲まれて、冬の暖房さえも節約をせざるを得ない人たちもおります。どうかそういった人たちへの支援だけは滞らないように、これは社会の共同責任として何とか続けられるためにも、こういった支援の在り方について、是非ともお考えをいただきたいと思いますので、そのことについてのお考えをお聞きをいたしたいと存じます。
 次、公共施設などについてのご質問をいたします。
 公共施設の地域的な均衡についてご質問をいたします。
 江別市は、ご承知のように東西に長い都市形態でありまして、その中に5つの駅を持っているということは、他の都市に比べても非常に珍しい土地柄ではないかと、そんなふうに思っています。
 そして、その中にいろいろな公共施設があるわけですが、その中に大麻から豊幌まで、ほぼ満遍なく施設を配置をされています。これはその時々のいろいろな関係者の皆さんのご努力、工夫のたまものだと、そんなふうに思っています。
 そして、これからもそういったことで、東西にもっともっと充実したものになるように願うものでありますが、それと同時に、かねてから江別の東西と同時に南北に厚みを持ったまちづくりが必要だというふうに言われてまいりました。そして、そのかいありまして、近年は南北にも人口集中が始まり,それなりに厚みを持ってきたものと理解をいたしております。
 そして、また今は野幌駅を中心とした鉄道高架事業によりまして、南北の交通流通がもっともっと活発になるでありましょうから、施設の利用についても、全市的な利用が今よりももっと活発になるものだろうと、そのように考えるものであります。
 しかし、今、地方、住んでいる地域について、もっともっと地域を豊かにしていこうということで、いろんな試みがなされております。その各地域で行われております試み、やはり今まで職場と家との往復ということが重点になりまして、ともすれば住んでいる地域になかなか目が向けられなかった。それを今はその地域の人のつながり、そして、人とのぬくもりというものをもっともっと大切にしようという、そういった機運が非常に大きくなってきたものとそんなふうに思っています。
 スローライフ、そしてスローフードといったような言われ方をしている部分もありますが、その中にはやはり食の安全とか、そういったものを確保しながら、地域のつながりをもっともっと大切にして、今まで失われてきたものをもう一度取り戻そうと。それがひいては子供の教育、子育てにもつながり、そしてそれが老人の介護、あるいはそういったことにもつながっていくのではないかと、そういう発想なのだろうと思います。
 週末に大型店でたくさんの買物をしながら、そして、それをストックしながらするという生活から、地域の商店やそういったことをもっともっと大切にしながら、そこの関係を濃密なものにしていこうという考えもその中に入っているのかと思います。
 そういった意味で、阪神・淡路大震災の例を挙げるまでもなく、震災時には地域の力が非常に大切だということをまざまざと見せ付けられたわけであります。それをくみ取りながら、地域防災という発想の下でいろいろとご検討をされている部分もたくさんあるわけであります。そして、また老人介護の問題の中で、老人がぼけとかそういった症状にならないためには、高齢者を地域の中で活動いただく。それが大切だとも言われておりますし、また、不幸にしてぼけとかそういった症状に遭われた方も、地域に帰ってきて、地域の中で活動の場を与えることによって、その症状が進まないということも専門家から指摘をされているところであります。
 そして、また市の行政の中でも、地域まちづくり会議、あるいはまた、総合型地域スポーツクラブの試行など、そういった面での積極的な役割を果たしておられます。そういった意味で、地域や地域としての活動といいますか、地域の存在といいますか、そういった地域での活動を盛んにすればするほど、やはりその中には拠点とする何らかの公共施設が求められてくるのは当然のことだろうと思います。むしろそこの核を与えることによって、もっともっと運動が広がっていく側面もあるのだろうと私は思っています。
 そういった意味で、南北を見てみますと、何も殊更南北を見る必要はありませんが、たまたま見てみますと、これは歴史的経過でそうなったことですから、良い悪いではありません。ただ、たまたま鉄道の北側に公共施設は偏在をしているのかなと、そういった思いがいたします。そういった意味で地域活動をこれからもっともっと活発にしていくためにも、もっと均衡ある配置が必要ではないかと思いますので、お考えをお聞きしたいと思います。
 お考えをお聞きいたしますが、これは私の意見でお答えをいただく必要はありませんが、ともすればこれまで公共のそういった住民関係の施設としては、斎場としての役割を非常に重く受け持ってまいりました。地域の皆さんがそういったことを要求するのであれば、それは当然でありますから、それは何もとやかく言う必要はないと思いますが、ただ、今は民間の斎場も大変多く設備をされています。私は斎場の回し者ではありませんが、そういう状況を見ながら、公共の施設での斎場の役割というものの見直しも、また必要ではないかなあと、そんなふうに思っています。
 そして、新聞のお悔やみ欄を拝見をいたしますと、このごろ特に目につくのは、葬儀は終了しましたというのが非常に多くなってきました。これは一つのやはりそういったことへの住民の意識の変化の表れだと思います。むしろ、私は公共の施設が斎場の役割を担うのであれば、中規模、大規模はどうぞ民間の斎場をお使いくださいと。そして、しかし小規模でやらなければいけないというときには、どうぞ公共施設をお使いくださいと、そういうふうに改めていくべきではないかと思います。個人の家で葬儀を行おうとしても、今、個人の家は人がたくさん集まるような構造になっておりませんから、そういうことこそ求められているのではないかなあと、そんなふうに感じるところであります。
 以上、公共施設の在り方についてお尋ねをいたします。
 次に、先ほど申し上げました人口が南部にもどんどんと張り付いてまいりましたけれども、そこに影響も出ております。人口の集中地域というのは、宅地造成とかそういったところは、前段、計画の段階でいろいろな不測の事故とかそういったことを織り込んで作り上げますから、それはそれなりに余り大きな問題は起きないわけですが、そういった周辺地域、あるいは公共の施設、大型の公共施設が立地したようなところは、当初、想像もしなかったようないろいろな弊害とか影響が出ているということを散見をいたします。そういった影響については、市が都市計画に基づいて人口集中地区を容認をしてきたわけですし、それなりのまちづくりとしての一環として人口を張り付けるという誘導もしてきたわけですから、それに関する影響を受けたところには、行政もそれなりの対応、あるいは土地の利用の仕方も含めたいろいろな対応をすべきではないかなあと、そんなふうに思いますがお答えを、ご見解をいただきたいと存じます。
 以上で大分時間を余しましたが、これで質問を終わらせていただきます。

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