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平成13年第4回江別市議会会議録(第1号)平成13年12月5日 2ページ

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年1月30日更新

6 議事次第

開会宣告・開議宣告

議長(五十嵐 忠男 君)

 これより平成13年第4回江別市議会定例会を開会いたします。
 ただいまの出席議員は31名で定足数に達しております。
 直ちに本日の会議を開きます。

議事日程

議長(五十嵐 忠男 君)

 本日の議事日程は、お手元に配付いたしましたとおりであります。

会議録署名議員の指名

議長(五十嵐 忠男 君)

 日程第1 会議録署名議員の指名を行います。
 会議規則第111条の規定により、齊藤議員、三上議員を指名いたします。

会期の決定

議長(五十嵐 忠男 君)

 日程第2 会期の決定についてを議題といたします。
 お諮りいたします。
 今期定例会の会期は、あらかじめ議会運営委員会と諮り、本日から18日までの14日間とし、6日から11日まで、及び15日から17日までを休会といたしたいと思います。これにご異議ありませんか。
 (「異議なし」の声あり)
 ご異議なしと認めます。
 よって、そのように決しました。

諸般の報告

議長(五十嵐 忠男 君)

 日程第3 諸般の報告をいたします。
 上野功議員は、去る11月29日、逝去されました。誠に哀悼痛惜の極みに耐えません。ここに謹んでご報告を申し上げます。
 その他については、事務局長をして報告いたさせます。

事務局長(明 孝一 君)

 ご報告申し上げます。
 今議会におきます地方自治法第121条の規定によります説明員は、別紙印刷物のとおりでございます。
また、今議会に提出されました案件の数並びに閉会中の議長事務報告につきましても、印刷物に掲載のとおりでございます。
 さらに、監査委員から報告のありました例月出納検査結果報告8月分ないし10月分につきましても、お手元に配付のとおりでございます。
 以上でございます。

上野功議員逝去に対する追悼演説

議長(五十嵐 忠男 君)

 日程第4 尾田議員より、上野功議員の逝去を悼み、弔意を表すため、発言の申し出がありますので、これを許します。

尾田 善靖 君

 ただいま議長よりお許しをいただきましたので、故上野功議員の急逝を悼み、謹んで哀悼の言葉を申し述べさせていただきます。
 本日ここに、平成13年第4回定例会開会に当たり、議席に上野議員のお姿に接することができず、議員一同、惜別の情を禁じ得ないところであります。今もなお、そこに優しい笑顔を浮かべ座られているような錯覚さえ覚え、再びあなたの温容に接する機会を失ったことは、誠に痛恨の極みであります。
 あなたは、昭和17年この江別に生まれ、以来、ご両親の温かい思いやりを受けながら勉学に励み、昭和37年に地元の高校を卒業後、家業である農業に従事されたとお聞きいたしました。昭和49年には、聡明な頭脳と先見の明をもって会社を創設され、生まれ持ったその才能から大胆かつ堅実な経営手腕を発揮し、本市経済の先導者として貢献されており、その卓見に驚くとともに、とても足元に及ぶところではありません。
 豊富な見識と、豪気にしてかったつな内にも温厚誠実で慈愛に満ちた人格はだれもが認めるところであり、平成11年4月の統一地方選挙において衆望を担い見事トップ当選され、市政の推進に参画されたところであります。
 議会では、同僚議員や部局職員への優しい気配りも欠かさず、和を信条として常に円満な運営に心掛けておられました。また、多くの市民から負託された議員として、仕事に対する責任感は人一倍強く、ご自身に与えられた使命を達成するため、火のような情熱、そして、一貫した正義感を持って取り組まれていたお姿に感銘いたすところであります。
 顧みますれば、平成11年6月の定例会一般質問に議員として初めてこの演壇に立たれ、子供たちの健やかな成長を願い、非行や暴力の増加を懸念するとともに、スポーツの振興に熱弁を振るい、また、地元大麻地区の整備や振興について気丈に訴えられていた勇姿が今でも脳裏に焼き付いております。
 私は、同じ1年生議員として議会運営委員会、環境経済常任委員会などで席を同じくし、議論を交わしてまいりましたが、同期とはいえ党派、会派が異なるとも、人生の大先輩として信頼申し上げていたところであり、寛容なあなたは、党派を越え他の同僚議員にも等しく気さくに声を掛けられ、自ら手本となり、数々のご指導をいただいたところであり、あなたに対する尊敬の念はだれもが認めるところであります。
 地域にあっては、積極的に社会福祉の増進に取り組まれ、昭和40年から消防団員として市民の生命と財産を守るため心血を注がれ、昭和63年からは江別市消防団副団長として重責を担ってこられました。また、少年野球連盟の顧問を務めておられ、子供たちのはつらつとしたプレーに盛んに応援されておられました。
 一昨年のことですが、大麻はやぶさ運動広場で開催された少年野球大会でご一緒した際、まだ不十分な設備に気付かれ、子供たちの健やかな活動場所となるよう、市内の運動広場の整備充実に向けて精力的に働き掛け、水飲み場やトイレ、さらに野球場の防球ネット、散水栓の設置などにご尽力されたところであり、広場を利用する地域住民や子供たちにとても喜ばれているところであります。
 この地に生まれ、ふるさと江別をこよなく愛され、郷土のために一身をささげ尽くし墳墓に逝かれたあなたは、粉骨砕身の精神を身をもって示されました。平成11年、病魔に侵されてからも、入退院を繰り返し、加療に努めながらの議員活動は言い尽くせぬほどつらいものであったとご推察いたすところでありますが、私たちの前では何一つ弱音を吐かず明るく振る舞い、最後まで努力を尽くしてやまないあなたの姿には、つくづく頭の下がる思いで一杯であります。
 同僚議員の話では、本年10月中旬に一緒に四国へ旅行されたときのこと、あなたは元気に調査をこなし、研さんを積まれ、初めての土佐市訪問では、「もっと元気になってお酒が飲めるようになったら是非もう一度来よう。」と、にこやかに話していたそうですね。また、夕食の席でも、「健康だったらもっとおいしいだろうに。」などと、むしばまれていくご自分の体を悔やまれた様子がうかがわれるところであります。
 旅行を終えて間もなくのこと、再入院され、療養に努めながらも、強い責任感から議会業務を気にされておられました。見舞いの同僚へも、「病気になり迷惑を掛けて申しわけない。早く元気になって復帰するから。」と、最後の最後まで何度も謝っていたそうです。しかるに、力の限り手を尽くされましたご家族の介護、そのかいもなく、50代の若さでついに帰らぬ旅に立たれましたことは痛惜に耐えない次第であります。
 生あるものは必ず滅するとはいえ、ともに市議会議員になってわずか2年半余り、愛する江別の発展のため、さあこれからと意気揚々としていた矢先のことであり、あなたを失うことは21世紀の郷土江別の発展にとって、市議会ばかりではなく、江別市にとっても極めて大きな損失であり、あなたが培ってこられた知識と経験をさらに市政に反映していただきたかったと、誠に残念に思い、余りにもはかないこの世の無情に嘆かざるを得ません。しかしながら、いかんともしがたく、あなたの生前のご功績と高い人徳とに対し、敬意と感謝の意を表し、残された私どもは、確かな議会運営と市政発展のため、さらに精進してまいる決意でおります。
 本日ここに、在りし日のあなたをしのび、ただただ限りない哀悼の誠をささげるとともに、ご遺族並びに江別市の隆盛発展にとわのご加護を賜りますことを衷心よりお願い申し上げまして、追悼の言葉といたします。
 平成13年12月5日、尾田善靖。

議長(五十嵐 忠男 君)

 ここで、上野功議員のごめい福を祈り、謹んで黙とうをささげたいと思います。
 ご起立をお願いいたします。
 黙とう始め。
 (黙とう)
 黙とうを終わります。
 ご着席願います。

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