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平成12年第3回江別市議会会議録(第4号)平成12年9月14日 4ページ

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年1月30日更新

6 議事次第の続き

一般質問の続き

議長(赤坂 伸一 君)

 以上をもって、稲垣議員の一般質問を終結をいたします。
 一般質問を続行いたします。
 植松議員の行政執行の在り方についてほか3件についての質問を許します。通告時間30分。

植松 直 君

 議長より許可をいただきましたので、通告に従い質問させていただきます。
 今回は後ろから2番目の質問者となりましたので、これまでの質問者と私の通告内容が重複し、既に何らかの答弁をされていますので同じ答えを繰り返す必要はありませんが、同じ質問でも、それぞれアプローチの方法が違いますので、私なりに一通り述べさせていただいて、アンサーでなく、コメント風なお答えでもあればお聞かせください。
 今日は大きく分けて環境問題と、それに関しますまちづくりと新教育長に家庭教育の在り方について、お聞きしたいと思っています。
 今回も市民の参加の視点から、行政の企画・立案・執行、さらに事業評価に至る一連の市政について、多くの市民がどのようにかかわれるのか、これらの事柄について見てみたいと思ってんます。
 これまでも市民に開かれた市政について多くの人が言及され、私が言うまでもなく、市長はじめ部局の皆さんは先刻承知のことですが、蛇足ながら私なりにまとめますと、次のような事柄に集約されるのではないでしょうか。
 市民にとって必要な施策を実行し、かつ、その結果が市民の意向に合っていなければいけないわけですが、この政策の企画や計画のときから、その達成のプロセスにおいても、市民に対して透明性を保っているか。さらに、全プロセスと結果についてもきちっと説明ができるか、この2点がセットとして、市民の前に提示できるかが、開かれた行政なのかどうかの判断になるものと考えております。
 江別市が発行する各書類には、市民の声を生かしたまちづくりを強調されていますが、この1年間、比較的近くで多くの行政の在り方を見聞きしてきましたが、透明性や説明責任について努力をされていると理解できますが、必ずしも十分と言い兼ねるという感想を持っています。
 多くの先輩の前で、このような初歩的なことを申し上げたのは自戒も含めてのことでして、8月の末にエイズ訴訟で実名を表明して戦っている川田龍平君のお母さん、悦子さんの講演を聴いていて、壮絶な話の終わりに、龍平君が水俣の応援に厚生省に出掛け、お役人に向かい、「あなたたちは何のために仕事をしているのか」「だれのために仕事をしているのか」と訴えたということです。
 中央と地方の行政はそのまま丸写しになっているとは思ってはいませんが、この言葉の後に、悦子さんは、「政治家は動きません。一人や二人が声を上げたくらいでは見向きもされません。エイズ問題では、龍平を理解した大勢の若い人たちが声を上げて、初めて、時の厚生大臣が動いたのです。」今年の暑い夏に、背中がぞくっとくる話ではあります。
 行政も議員も、開かれた市政をうたい文句にしているが、多くの市民にとっては身近な問題については関心を持つが、市政一般についてはほとんど興味を示さないと言っても過言ではありません。何らかの興味を抱かせるためにも、常に何のために、だれのためにを念頭に置いて執務していかなければなりません。
 透明性を高め、説明責任を果たすためにも、市長が率先をしてもっと「外に出る」ことが必要と考えます。市民の話に耳を傾け、市民との接点を大事にする、いわゆる現場主義を大切にしていただきたいと思っております。
 市長への手紙や市政懇談会等で市民との意見は十分にそんたくしているということでしょうが、各自治連合会に意見の集約を済ませ、さらに、質問の通告を受けての懇談会は、それはそれで結構でしょうが、私が思っている市民派で庶民派の市長としては、多忙な中にも、もっとフランクに、小さな集まりに顔を出して、生の声を聞く時をねん出していただきたい。2期目を執行する小川市政の色を鮮明にするためにも理想・理念を掲げ、実現へのいろいろなプロセスを提示し、それらを持って町に出て、肉声でもって経過を説明しながら、分かりやすい開かれた行政を執行するように希望いたします。
 環境問題というと地球の温暖化、オゾン層や森林の破壊、水質汚濁等の地球規模での環境の悪化、都市部では廃棄物が増え、その処理に苦慮しているのが現状です。日本としても、国内対策を強力に実施する姿勢を打ち出し、特に、地球温暖化対策、循環型社会の形成、交通対策、化学的物質対策等々を挙げております。
 これは、国内的にも、国際的にも取り組まなければならない分野ですが、私達もこれらの視点を踏まえながら、アクト・ローカリーで自分の身近な問題に置き換えてみることにします。
 まず、初めに、3月から操業を始めたリサイクルセンターの稼働状況について説明を受けたいと思います。
 ほぼ5か月を経過しましたが、アルミ缶、スチール缶、ペットボトルさらに紙パックの取り扱い量はどのくらいになったでしょうか。当初予想処理量と比較して大きく変わったところが出たでしょうか。あったとすれば、その差はどのように考えていますか。
 次に、3種類は有価物として、それぞれの専門業者に受け渡しをしていると思いますが、それらは単価として幾らぐらいの価格になっているのでしょうか。昨年の3定でいわゆる逆有償になっているペットボトルは容リ法による指定業者に受け渡していることと思いますが、トン当たりいかほどで取引されていますか。リサイクル協会を通して、加工・処理工場等に運ばれていると思いますが、分かっていれば、その企業の名前と所在地を教えてください。
 ごみ減量、省資源化から容リ法ができ、地方自治体が分別収集処理、リサイクリングを義務付けられましたが、ペットだけでなく、他の回収物も常に市場原理に左右されていますが、今の時点では、財団のリサイクル協会が買い上げることになっているペットが、近い将来、市の財政に影響を与えないかどうか、ボトルの生産者、流通業者、消費者も相応の負担をしなければならないときが、そう遠くない時期に到来するのではないかと考えます。
 外部での処分のみに頼ることなく、今から他の利用法を、例えばサーマルリサイクルなども視野に入れて検討することも必要と思います。
 リサイクルセンターと集団回収と合わせて、これで江別市のリサイクルは万全ということにはなりません。消費者のライフスタイルも云々されていますし、リデュース、リユースや一つ一つの製品のライフサイクル・アセスメントの手法も取り入れて検討しなければならないときに来ています。センターを造れば終わりということでなく、この施設を核にして、ごみ・リサイクルを考える市民会議を作り、みんなで考え、みんなで実行する活動の場を設けてはどうでしょうか。このリサイクルセンターの稼働によって、焼却施設に持ち込まれるごみの量と燃やせないで埋立地に運ばれるごみの量についても顕著な変化があったのかどうか、お知らせください。
 ペットボトルの次はトレイ類ということになりますが、これらを三笠の油化施設に持ち込むやに聞いておりますが、実施の時期はいつごろになるのでしょうか。
 千歳川について、二、三お聞きします。
 治水対策については、検討委員会で鋭意協議をされていることと思いますので、予断を挟むようなことや、流域の皆さんに不安をかき立てるような話はしませんが、しかし、最近合流点対策という記事が雑誌に載ったことからも、適時、適切にその都度説明することは必要と思います。
 7月の下旬に市は、千歳川の水質調査を支笏湖から石狩川の合流点の間で行っています。その結果が出ましたでしょうか。水道水の源流でもあり、汚れ具合はどうなのか気になります。それぞれの採取地点での大きな数字の違いが出たのか、さらに季節ごとに測定を実施しているとすれば、それぞれに違いはあるのでしょうか。
 例えば、田植えの時期や除草剤散布後のとき、水田の水落とし後といった、その時々の測定結果があればお教えください。
 さらに、BOD、COD値はどの辺から増えてきていますか。基準値との比較はどうでしょうか。
 千歳川の治水ということは、まず、千歳川がどのような川なのかを知ることが大切と思います。川は危険だということから近寄らせないようにするよりも、見て、水に触って、そして、川から町並みを見るというふうに、まずは親しむことから始めることが大切と考えます。
 防災ステーションの説明書に、それらしき船着場というものが小さく描かれていましたが、これはどのような目的、または何を意図してつくられるのでしょうか。
 支笏湖を下ってすぐの千歳川の上流は、水中にバイカモという小さい白い花を見ることができます。この花は、清流にしか生息しない植物です。石狩川との合流点付近のこの川で、上流と同じように市民が安心して遊べる川なのか、水質の面で大丈夫なのか、説明をお願いいたします。
 石狩川リバーセーリング同好会があって短い夏を楽しんでいますが、千歳川にも川を楽しむグループができることを期待しています。そのグループから、新しい視点で千歳川を展望し、討論に参加してくる市民が生まれるのではないかと思っています。
 市長も、子供のころに、この千歳川で水遊びをした一人ではないでしょうか。この川に水と親しむ公園を計画し、この流域の皆さんと水辺の文化を語り、治水はもとより、安心して遊べる川に取り組んでいただきたいものです。
 次に、野幌原始林周縁についてお聞きします。
 私どもも年二、三回原始林の散策をしていますが、ことしの環境広場で、酪農大学の村野さんが撮られた花や鳥の写真が紹介されました。ただ歩いては見ることができませんが、その数の多さに驚きました。しかし、数は次第に減ってきているということです。できるだけ、現状で次の世代に引き継ぐには、それなりの努力をしなければなりません。
 森林の周りを緩衝地帯と言うそうですが、この周辺地区をきちっと確保していかないと森林の保護は難しくなる。理想的な森林の緩衝地帯とは、水田や畑などの耕作地であって、そこにはいろんな生き物が生息し、鳥類も飛んでくる。運動公園の芝生は確かに緑ではありますが、バクテリアや生物にとっては住みにくいところと言えます。大きな自然の近くで仕事をするのは、確かに、そこで働く人にとっては気持ちのよい環境ではありますが、原始林にとっては好ましい状態ではないと言えます。
 しかしながら、RTN第2期開発事業は、企業誘致のインフラでもあり、取りやめとなると誘致インセンティブがなえて、雇用機会の創造や市税増加への市としての努力行為もなくなり、行政執行にも影響が出ると考えられます。RTN開発は、環境アセスの北海道の結果を踏まえることは当然としながら、内容の透明性を保ち、積極的に自然環境保護団体と話し合う場を設けることが必要と考えます。
 現在の厳しい経済情勢の中で、懸命の努力を尽くしても、企業の誘致は順調に推移し得ないかと思います。後期基本計画に捕らわれないで、将来の動向を見守りながら、縮小も視野に入れて、柔軟に執行してほしいものです。江別は平らな土地がまだ多くあります。次のRTNは、森林からやや離れたエリアに求めてはどうでしょうか。
 ついでながら、林木育種場の保存が確定したときに、育種場の一部を野幌原始林や自然環境保護のボランティア団体の活動の場に開放してはいかがでしょうか。原始林内の植生状態の悪い地区の再生に多くのボランティアが必要になると言われていることから、行政も市民団体も共通の認識に立って、言葉だけでなく、天与の環境資源を守っていくことがようていと考えます。
 広域農道整備計画事業に、原始林の最南端をかすめる道路が挙げられています。今回も鈴木豊実さんが取り上げていましたが、これの答弁を聞いていて、やや透明性に欠けるように感じていました。15年着工で南幌町・江別市・札幌もみじ台間約12キロメートルで、道開発局の工事ということでした。南幌町の新鮮な野菜を、札幌の市場にいち早く出荷したいといった町民の強い要望から計画されたと説明されていました。事実はどうだったのでしょうか。
 後から聞く話では、前南幌町長が札幌通勤圏として、この道路の拡幅に特に力を入れたということです。この道路は、沿線の皆さんにとっては当然生活道路ですが、知る人ぞ知る道で、車両の往来も増えてきています。ただ、この計画道路沿いには、原始林の散策地点としてトド山と立命館高校があり、ここへの乗り入れ道路と計画道路は、それぞれ別のルートにするのが良いと思います。この道路の建設には、まだ時間の余裕がありますので、住民の皆さんの安全も考えて、高校の南側を通るカーブの少ない道に変更できないのかどうか、環境アセスも含めて検討していただきたい。そして、この道路が完成したときに、今野幌原始林を車で唯一横断している道路、登満別の森林の家の前を走る基線、西3号道路を、東西の両側の駐車場で閉鎖し、緊急車両、監視車のみの乗り入れに限定するように是非要望していただきたい。今利用している人は、この道路を生活道路として利用しているようには思えません。原始林の中に身の危険を感じ、ほこりまみれに道路があるとはだれも思っていません。自然環境の面からも、是非利用禁止を提案していただきたいものです。
 次に、江別市が取り組んでいる絵になるえべつについてお聞きします。
 まず、最初に、高砂駅と大麻駅にそれぞれエレベーターとエスカレーターが設置されることを関係者に報告したところ、エスカレーターについてはいい顔はされませんでした。それは、車いす生活者もできるだけ自立をしたい。最小限の援助で生活をしたいということです。エスカレーターは、ボタンを押すとステップ3段が平らになり前進で乗り込み、後ろから駅員がサポートして乗降する。一々駅員にお願いをして乗せてもらうというのは面倒ということです。
 予算のこともあり、今までなかったんだから、これでも良しとしなければという発想は、健常者の発想です。障害者も、健常者と同等の生活、行動ができるように、ハンディな状態をゼロに近くするのが私たちの役目でないかと思っております。
 それから、今年も2番通りの歩道の高低差をなくし、江別のシンボルとも言われるれんが道を施工し、絵になるえべつを表現することになったという話も、一部の人にはすこぶる評判が悪い。この人たちは白いつえで、地面から行き先を聞いている人たちです。れんがと目地につえの先が引っ掛かって歩きにくい。後で聞くとつえの使い方に個人差があって、タッピングしながら歩く人は、比較的上手にこなしているということです。
 しかし、施工済みの道路を見てみると、目地が引っ込んでいるところが大半で、つえの使用者は歩きにくいものと思われます。施工方法で、十分満足の行くような道路にできるでしょうから、是非そうなるように取り組んでいただきたいと思います。
 絵になるえべつとは、障害者にも優しいまちづくりを基本にして取り組むことが必要で、そのことが、お年寄りや子供にも優しい町となるからです。職員も疑似体験をし、どこに問題があるのか、ハンディを持った人たちと話し合いをし、障害者の言葉に謙虚に耳を傾けることが大切です。
 絵になるえべつを見ることのできない人も、私たちの周りに市民として一緒に生活をしているわけですから、そのような人にも、絵になるえべつを網膜に描けるように説明をし、一緒に汗を流しながらまちづくりをしたいものです。白いつえだけに薄情にならないように心掛けたいものです。
 次に、電線の地中化についてですが、既に五十嵐さんから出されましたが、私なりに触れたいと思います。
 私も江別駅周辺の皆さんとまちづくりについて話し合いをしたときに、地中化が町の雰囲気を変えると言ったことがあります。
 ヨーロッパの都市では、日本のように電柱が道路の両側に並んでいる風景はめったに出会えません。都市景観を美的に見る感覚があるからでしょう。
 去年、日高に近い穂別に行ってきました。小さな町ですが、メインの通りは電柱はなく、街路樹が我が物顔で占拠していました。見た目にも開放感にあふれ、明るい町の印象を持ちました。江別も目に見えるところに大きく手を加えて、印象を変えるときに来ているのではないかと思っていたところ、市長から提案があり大いに期待をしたところです。しかし、実際は、この春に国道12号線沿いは、背の高い新しい電柱に取り替えられました。確か、来年釧路市が地中化を開建の予算で行うという記事を見ましたが、これらも、粘り強く実施に向けて要求をしていただきたいと思います。
 次に、美原大橋のライトアップについてです。
 風力発電を使って橋の照明をという考えだったと思います。これは、室蘭の白鳥大橋の二番せんじで感心しません。市長としては、自然エネルギーの採用をアピールしたいところでしょうが、ここで安易な選択をしてはいけないと思います。今エネルギー問題、特に自然エネルギーについては、多くの市民が強い関心を持っています。自然エネルギーやコージェネ・システムに期待しています。
 今回江別市が採用した浄化センターのコージェネについても、注目されています。これは、日本のエネルギー政策について、石油や原子力からの脱却を一人ひとりが考え始めたということでしょう。環境とエネルギー需要をどう両立させるのか、このような基本的な項目に真剣にかかわると、橋のライトアップに風力を使うといった安易な選択は出てきません。
 自然エネルギーは市民の生活に密着したところで利用すべきです。ここで利用する自然エネルギーは太陽光発電ということになります。扱いやすさやメンテの面からもソーラー発電が適していると思います。公共の施設に、このシステムを採用すると、電気と熱が得られます。避難場所に熱と電気があれば、冬期間の災害でも多くの市民を守ることができます。風力に投資する費用を、是非ソーラーに使っていただきたい。新エネルギー財団が、個人での設置に補助をしています。最近、財団の新エネルギーに取り組む姿勢が本格的になってきて、予算の申込者も毎年増えているようです。江別市も、融雪槽と同様な融資を実施してはどうでしょうか。太陽光発電の再生可能な自然エネルギーを行政が推進することで、脱原発を暗黙のうちに打ち出すことになります。小川市政をアピールするためにも、是非検討していただきたい。
 次に、江別駅周辺地区のまちづくりについてお聞きします。
 この問題も、星さんから提示をされていましたが、一言触れさせていただきます。
 この3月に立派な小冊子をもらい、これで具体的な全ぼうが開かれてきたように感じられ、関係者ともどもほっと一息ついたところでした。6月に地権者との話し合いも順調に済み、後は信託の応諾を待つのみと確信し、実施の熟度は大変高まっていたと認識しています。
 昨年、駅周辺の皆さんとまちづくりについて話し合ったときに、基本的には、この地域の皆さんの生活に密着したまちづくりを目指すこと、ホテルやコンベンションルームも大切だが、地域の高齢化を考えると、魚屋や野菜屋などのSCもあり、病院も必要。それだけでなく、2期事業を見据えて、リバースモゲージを採用して、地域の皆さんの住環境の整備を兼ねた施設にすべきでないかと提案したことがありました。
 自分たちが毎日利用する空間というのは、すなわち自分たちの町にほかなりません。前の答弁では、時間的な制約を受けながらの再検討を急いでいるということでしたが、住民の皆さんの要望をくみ取って、道のヒアリングに臨んでいただき、地域の関係者や地権者への説明責任を果たしていただきたいものと考えます。
 次は、絵になる大麻に関するまちづくりについてです。
 大麻については、樹楽園構想やパークゴルフ場など、これまでに先輩の皆さんが取り上げ、今回も第1日目にパークゴルフ場の要望が出されました。傍聴席に大勢の関係者が詰めかけ、質疑の成り行きを注目していましたが満足したでしょうか。私には、そう感じられなかったというのが正直な気持ちです。
 まちづくりの第一歩は、地区の将来について夢を語り合うこと、地元の盛り上がりや関係者の合意が必要と言っています。これは私が言っているのでなく、経済部観光係のペーパーに書かれている言葉です。パークゴルフ場にしても、まちづくりの手法を踏襲すべきと思います。
 パークゴルフについては愛好者が増え、ゴルフ場の利用が難しくなってきています。他市町村の施設を利用するにも、地元の愛好者も多く、肩身の狭い思いをしているということです。
 そこで、先日、教育長の答弁で、関係者は将来の見通しについて語ることができたでしょうか。教育長ご自身もあの答弁で市民や関係者が理解、納得したと思っていない雰囲気がありました。これからは、小学生にも分かる言葉で、作文に頼らずにご自分の言葉でお話しください。
 先日、新篠津村のゴルフ場を見てきましたが、温泉の前にあるゴルフ場は無料とのことでした。これもゴルフ場の在り方かもしれません。ゴルフ場については、多くの皆さん方から強い要望が出ており、それも自分たちの近くにということですので、近々、手法も含めて、これまでと違った形で市民から行政に提案されることと思いますので、具体化に向けて、是非テーブルに載せていただきたい。
 江別の夏祭りは、3地区それぞれ趣向を凝らして催されています。大麻は投げ銭コンサートと銘打って、これまで伊藤多喜男、高橋竹山、今年は小松亮太とザ・タンギスツといった芸能人を招いて祭りを盛り上げてきました。これからも祭りの目玉として、この企画が続くでしょう。
 祭りの会場となっている大麻西公園は、南北の傾斜を下る盆地状になった広場でして、北の斜面は雪が積もると西公園国際スキー場となり、子供たちの遊び場になっています。伊藤多喜男のときは、この地形を利用して客席を設け、野外劇場風にして演出効果を高めていました。
 もともと芝居という言葉は芝のあるところ、すなわち観客席を意味していることから、ここの地形を利用して常設の舞台を設けてはどうでしょうか。新札幌のような立派なものでなく、能舞台なようなフラットなもので結構。今年も吹奏楽演奏、日舞、和太鼓の共演とステージをにぎわしました。同じ演劇でも、野外で観覧すると季節の移ろいが背景になって、また、違った劇になると思います。屋内と違っていろいろな制約も多いと思いますが、自然の中で演じたり、演奏したり、パフォーマンスを発表することで、舞台の上も、観客も、また、違った楽しさを味わうことができると思います。
 音響と照明用の配電盤も常設すれば、毎年作っては壊しでなく、周りに調和する舞台を作り、見たり、聴いたり、自ら演じたりすることで、江別の文化度は間違いなく高くなります。
 以前に、春日さんが空き倉庫の利用をお願いしたときも、お金を理由にすげなく断っていましたが、絵になるえべつ、文化の薫りの高い市を標ぼうする市長が、文化は限りなく無償に近いものという考えは持っているとは思いません。空き倉庫の利用やこの野外舞台についても、困難を取り除く努力をし、前進の一歩を踏み出してほしい。
 舞台装置の費用は、西公園に今年建設したトイレの数分の1で済むでしょう。これが実現すると、総合計画に載る21世紀にふさわしい市民文化を創造し、新しい芸術・文化を発表する場などの環境整備を推進することになるのです。
 今日は、市長が日ごろ考えている文化論とこのような設備について、手短にお話しいただければ結構です。
 今回の定例会は、新教育長のために開かれたとも言えます。多くの心優しい議員さんが、新教育長の顔見せに席の温まる暇もないほどに出番を作り、時には旗や歌、あるいはパークゴルフでは汗までかかせ、大変な歓迎ぶりで、市長の答弁時間よりも教育長の方が長かったのではないでしょうか。
 私も、心の優しさでは人後に落ちませんので、最後に高橋新教育長に、さらっと軽くコメントをいただきながら終わりたいと思います。
 5月に、東京で娘とスーパーに買い物に行ったときのことです。娘いわく、「最近スーパーの棚の前で袋を破ってお菓子を食べている子供がいるけど、見ても注意をしないでね。小さな子供には母親が、高学年以上の子供は自分で、レジで包装したものを見せて金を払うから」、私いわく、「家に帰って食べればいいじゃないか」「子供がそうしたいと言ったらそうさせるの、盗んだわけじゃないから、お金を払えばいいという考え」たまたまこの時間帯にそのような光景に出会わなかったが、ちょっと違うなという感じを持った次第です。
 最近の親は、子供におもねている。自分の子供を恐れているふうに見えると言っていました。しつけに自信がないということでしょう。幼児への暴力事件の裏返しとも言えるかもしれません。児童を持つ親の、いわゆる家庭内教育力がなくなってきているのでしょうか。長年、子供の親を見てきた教育者として、この変遷があれば教えていただきたい。
 さらに、普通のまじめな目立たない少年が起こす事件が報道されるたびに心が痛むのですが、理解できない事柄が余りにも多過ぎます。この事件の背後に父親の存在を感じることができないのですが、これをどう判断すれば良いのでしょうか。一言で語ることは難しいと思いますが、併せてお教えください。
 以上で1回目の質問を終わります。

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