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平成15年第2回江別市議会会議録(第3号)平成15年6月23日 2ページ

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年1月30日更新

6 議事次第

開議宣告

副議長(宮野一雄君)

 これより平成15年第2回江別市議会定例会第12日目の会議を開きます。
 ただいまの出席議員は28名で定足数に達しております。

議事日程

副議長(宮野一雄君)

 本日の議事日程は、お手元に配付いたしましたとおりであります。

諸般の報告

副議長(宮野一雄君)

 次に、諸般の報告を事務局長をして報告いたさせます。

事務局長(浦島忠勝君)

 ご報告申し上げます。
 本日の会議に宮澤議長が欠席する旨の通告がございました。
 以上でございます。

会議録署名議員の指名

副議長(宮野一雄君)

 日程第1 会議録署名議員の指名を行います。
 会議規則第111条の規定により、坂下議員高間議員を指名いたします。

一般質問

副議長(宮野一雄君)

 日程第2 一般質問を順次行います。
 春日議員の市長の政治姿勢についてほか3件についての質問を許します。通告時間30分。

春日基君

 市民政策会議、通称、市政会の春日でございます。
 ただいま議長より許可をいただきましたので質問をいたします。
 初めに、私たちの住む日本は少子・高齢化、環境の悪化、国際化、デフレスパイラルの進行など様々な変化の中で、いじめ、不登校などの教育の課題、膨張する福祉の課題、環境保全や経済の活性、加えて、戦争への脅威など閉そく感が漂う、極めて厳しい時代の転換期であります。江別市においても例外ではなく課題は山積し、非常に難しいかじ取りが政を担う者に要求されていることは、ここにいる皆さんも同感であろうと推察いたします。
 この困難の中、さきの統一地方選挙では、小川市長を初め私たち市議会議員は、「元気を下さい」、「何とかしてほしい」といった市民の悲鳴にも似た声の負託を受けて、ここに論議を重ねているわけであります。責任の重大さは計り知れないものがあります。
 会派、市民政策会議は、清水議員、島田議員、そして私と、会派構成要件最低の3人であり、1期目、2期目の若い議員の集まりでありますが、それだけにフットワークよろしい行動力で、前例に縛られることなく市民の目線で政策を語り、市民とともに活動することを信条にしております。この場を借りて、議員各位、そして小川市長を初めとする部局各位におかれましては、ご高配を賜りますようよろしくお願いを申し上げます。
 それでは、通告に従いまして順次質問をさせていただきますが、1日目の議員諸氏の質問と重複するところがございますが、視点を変え、より掘り下げてのお答えをいただきたいと思います。
 「市民協働による自立した、ふるさと江別の創造に向けて」、「一人ひとりが輝く明日の江別の実現」と題した冊子、つまり小川市長の選挙公約を拝見いたしました。その中には、ふるさと江別の更なる発展を実現するという基本姿勢に加え、三つの理念、三つの重点課題、そして七つの基本政策が打ち出されております。これが市民の評価を受けて、3期目の小川市長が誕生したわけであります。実に時代を見据えた公約と感服しているところであります。政策において、強弱に多少の不満が残りますが、私の思いと共鳴しているところでもあります。その意味から、歩調を合わすべきものはしっかりと合わせていきたいと考えているところであります。ついては、課題の共有、情報の共有が最も重要になってくると思われますので、この小川市長公約を中心に質問を展開していきたいと思います。
 この公約の中で市長は重点課題として、市民にとって、負担に見合ったサービスを受けているのか、こうしたことを厳しく検証していくことが必要だとし、また、過去にとらわれることなく行政改革を強力に進め、限られた行政資源を政策的な優先順位に基づいて適切に配分していくことに努めるとしています。過去からの脱却、恐らく市長は、時代の転換期を見据えての決意だろうと期待するものであります。
 江別市は厳しい財政の中で、地方分権に象徴される自立したまちづくりが求められ、加えて、市町村合併の課題、そして第5次総合計画策定といった、今ほどまちづくりの理念・理想が問われているときはないわけであります。よって、特徴を持ったまちづくり推進のためには、選択と集中は当然の帰結であると思います。
 しかし、選択と集中の陰には、見直され廃止されていくものがあるという現実があります。見直されようとする事業にも必ず市民の要望があり、そして必要に迫られ展開してきたものだと確信しております。つまり、ここにかかわりを持った人間が存在するということであります。痛みやあつれきが生まれるものと思われます。非常につらく厳しいことでありますが、痛みを共有してこそ真の市民協働の世界が構築できるものだと思います。ついては、市長の理念に基づいた特徴的な選択、そして見直さなければならないと思われる事務事業がございましたらお答えください。
 新しい時代の新しい行政手法として市長は、市民協働による自立したまちづくりを標ぼうしております。私もこの江別には優れた市民の力があると思っておりますし、この方々とともに新しい江別を創造するべきだと思っております。しかし、冷静に考えれば、民と政は元来そうであったはずであります。それが、長い歴史の中でいつの間にか、多くの時代劇が象徴するような遊離が生まれてしまったようです。うがった言い方をすれば、この培養された歴史的な意識を壊さなければ協働はあり得ないと思うわけであります。つまり、市民と行政の意識改革が最も重要なことだと思います。自発的な市民活動は強いリーダーの存在が大きな活動のエネルギーとなって動いているように思われます。もしリーダーが何らかの理由で活動を停止した場合は、政策そのものがとんざする可能性があるわけです。その事業の継続をどうするのか。加えて、リーダーのいない団体・地域をどのようにフォローアップするのか。また、市民参加の各審議会やワーキンググループを立ち上げるのは行政の姿勢に賛意を表明する者でありますが、そこで自由な発言や行動に対して、これまでのようなお硬いお役所論理から脱却する柔軟な姿勢がなければ、形がい化したものになりかねません。
 このように、行政は一市民として共に活動に加わる気持ちがなければならないし、常にリーダーの育成をしなければならない。パートナーとして信頼し権限もゆだねる勇気がなければならいと、様々な課題を包含しているのが市民との協働の世界だと思います。真の協働の世界を創造するために、市長はどんな形をもって取り組もうとしているのかご見解をお伺いいたします。
 行政改革についてお伺いいたします。
 プラン・ドゥ・シーは、これまで前例踏襲の行政手法から、成果主義を取り入れたもので評価するところであります。しかし、これは民間においては至極当然なことであり、遅きに失した感があります。ただ、公共団体として市民サービスという成果が漠然としたものであったために、取り入れづらかったことも理解するものです。
 さて、市民の満足度をいかにして数値化するのか。いわゆる市民の内面であります。この内面は十人十色であります。私は、このPDSに若干の怖さを感じております。それは、数値化し難い市民の内面をPDS、プラン・ドゥ・シーによって最大多数の最大公約数を常に選択していくのではないか。少数の切捨て、また、特徴のある行政、思い切った施策の実行ができなくなるのではないかと懸念するものです。そして、評価を恐れる余り職員のいしゅくが生まれるのではないかなど、老婆心ながら心配であります。
 例えば、芸術など極端なこだわりから創造するもの、個性を重視する施策に費用対効果の論理を組み込むことができるのか。また、農業のように多面的機能を持つ世界に対し、縦割り行政の中で費用対効果を含むPDSのカテゴリーの中にどのような形で組み込むのか。さらに言うと、教育など百年の大計で見なければ評価のできない事業を大胆に取り組むことができるのか。このような疑問・懸念を感じますが、ご所見をお伺いいたします。
 さて、私は市民の1人として様々な活動にかかわり、市の事業を見てきました。そこで感じることは類似の事業が多いことであります。二、三例を挙げると、子供の農業体験と称して教育委員会で行い、農業振興課サイドで行い、また民間でもあちこちで行われています。せっかく行われても、それぞれが予算や時間などを理由に田植えのみとか収穫のみの体験であります。本来は、管理作業があって初めて収穫ができるという物事の本質に迫れないもどかしさを感じます。
 また、お年寄りの生きがい対策にしても、スポーツ課で行い福祉サイドで行い、そして自治会活動として行われております。地産地消運動についてもしかりであります。結果、大きな広がりにつながらないで終わっているような気がいたします。縦割り行政の弊害であると指摘しなければなりません。私は、縦割り行政のすき間にこそ血の通う市民のニーズがあるものと思っております。物から質の時代と変化しているのはだれしもが感じているところであります。当然、事業・施策もそうでなくてはなりません。特に、市長公約にある、子供たちの可能性を伸ばす施策、環境・高齢化・経済の再生など重点施策においては、一課一部局では語れない横断的な取り組みが必要であると思われます。ついては、スタッフ制やプロジェクトチームの編成など考えがあればお示しいただきたいと思います。
 次に、職員のマネジメント力向上についてお伺いいたします。
 少し古い資料ですが、平成13年9月28日の江別市行財政運営改善化調査中間報告には、市職員のアンケート結果として、実に生々しい意見が掲載されておりました。その中で職員の1人は、「もともと優秀な人材を選抜しているのだからやればできる人が多いと思う。しかし、役職に就けない等の理由から中高齢が多過ぎる。やる気を起こす人材を、また、実績、やる気、業務量に応じた人事評価、給与制度が必要ではないのか」と訴えております。一時代前ならばもみ消されていたようなこの声、ある意味ではこのような資料を公開する勇気をまず評価すべきだと思います。
 プラン・ドゥ・シーの行政システムで最も必要なのは、しっかりとした理念、確かな発想、おう盛な行動力、そして的確な判断力だと思います。つまり、理念のないプランはあり得ないし、幾ら企画、プランが素晴らしくても、行動、ドゥーが伴わなくては成果はあり得ない。そして、大所高所からの評価、シーがなければ意味をなさないわけであります。言うなれば、職員の向上心なくしてPDSは掛け声倒れになる危険性をはらんでいるのではないでしょうか。恐らく、これまでの年功序列の職員の在り方では、到底、職員のやる気、モチベーションは上がってこないと思われます。
 ついては、人事考課制の導入。また、自分はやはり市民とともにこの最前線で働きたいとか、もっと上のポジションで仕事をしたいとかという思いを受け止め、希望昇格・希望降格など職員のやる気と自主性を重んじる人事管理システムを作る必要性があると思われます。ご見解をお伺いいたします。
 次に、江別ブランドについて伺います。
 ブランド江別。実にいい響きであります。私が今回質問のテーマにしたかったのは、江別という町の存在そのものをテーマにしたかったからであります。広い宇宙の中の地球。そして、その中の日本。北海道の江別。そこに住む私たち。人はだれしも、自分はなぜ存在しているのだろうかという問いを一度は考えるのではないでしょうか。また、あらゆる団体や企業もそれを考え、誇りを持って存在しているものと思います。地方分権、市町村合併、新総計を念頭に置くと、私たちの町江別も存在意義を考えるときが到来しているのだと思います。ある人に言わせれば、「札幌の隣のベッドタウン江別でいいじゃないの。殊更に売り出す必要性はない」そんな声も聞かれます。
 市長は、江別らしさ、江別ブランドを推奨する以上そうであってはならないと思っているのでしょう。私も同感であります。札幌の隣の江別ではない、江別の隣には札幌という町があります。そのぐらい胸を張りたいと思っております。
 だが、本当はそんな悠長な気持ちで語っている場合ではないと思うわけです。たとえ、地方分権で潤沢に税源の移譲があったとしても、税収を生み出すのは自治体の努力にゆだねられているわけであります。これは自治体と自治体間の競争であります。観光に、企業誘致に、また特産品を、いかにこの江別を選んでもらうか。待ちの姿勢ではなく打って出なくては、本来の市民サービスもおぼつかなくなるわけです。今あるブランドを確実に仕上げていくのは当然であり、江別の資源をブランド化していく攻めの姿勢が必要だと思うわけであります。いわゆるing、ブランディングであります。
 思うままに言うと、江別には原始林・石狩川はもとより、中津湖など秘められた自然。初冬まきハルユタカを代表とする地元農産物、手間暇かけた加工製品や工業製品。昨日の矢澤議員のアロニアもしかりであります。世界で通用する芸術家もおります。スポーツ界ではオリンピックを目指そうとする選手もいます。イベントではやきもの市、北海鳴子まつり、マシュマロンピックがあります。ここにいる皆さんも、あれもあるこれもあると思われているのではないでしょうか。
 先日、地元の人は振り向きもしない迷惑な野生の黄色い菜の花が道一杯に咲いているのが道新の記事になりました。これも資源として活用できるのかもしれません。ばかなことだと笑われそうですが、課題の多い3丁目の歩道橋を、例えば市民ギャラリーや歴史紹介のパネル展に利用したらどうだろうなど、どんなものでも発想の転換や付加価値を付けることでブランドに変化する可能性を秘めております。要するに、これにスポットライトを当て、ばかな話を真剣に考え、これを強力に売り出そうとする意思であります。小川市長の江別ブランドにかける決意を示していただきたいと思います。
 少し踏み込んで言うと、一般的なブランド化の取り組みとして特産品の育成があります。これは一業種では困難な作業で、産学官が知恵と汗を出し、市民を巻き込まないと成果の見えてこないものです。いわゆる産業クラスターの構築であります。これは、大胆な発想、地道な努力、また、失敗を恐れない勇気が必要であります。気の長い、失敗もあり得るこのような取り組みに対し、行政支援をどのように展開するのか市長の決意をお聞かせください。
 産業振興についてお伺いいたします。
 アグリビジネスには雇用の拡大、地場産業の育成、地産地消、食農教育、環境保全、そして何より、前述の江別ブランド育成など多くの効果が期待できるもので、行政が取り組まなければならない重要課題であると思います。
 市長は公約の中で、アグリビジネスの支援として、農業者が自ら生産した農産物を加工・販売したり、農村空間を生かして農家民宿やレストランを経営するなど、江別版のアグリビジネスの支援を検討しますと述べられています。農村空間を生かす発想は私の主張とするところですが、課題となっているのが都市計画法、農地法など法規制であり、このハードルをクリアしなければ、農村空間を市民に自由に開放するのは困難であります。つまり、特区指定を受ける必要性があると思われます。農業振興課サイドで、幾ら市長の言われるアグリビジネスを推進しようとしても、企画を初めとする各部局の理解を得られなければ実現しないと思われますがご答弁をお願いいたします。
 次に、新農業振興計画についてお伺いいたします。
 今、江別は10年の大計として第5次総合計画が策定されようとしております。その準備も含め、都市計画マスタープラン、環境保全プランとしてアジェンダ21、子育てプランなど様々なプランが部門別に検討され実施されているわけです。では、農・商・工など経済部門についてどのような形で5総計に臨もうとしているのか。中でも、平成14年第1定において私の質問、すなわち、平成7年から16年までの江別市農業振興計画があるが、新農業基本法など農業情勢の激変に対応する新たな振興計画の必要性について質問したのに対し、これまでの検証を行い、新農業振興計画策定の準備を進めていきたいと答えられました。進ちょく状況と策定のポイントなどを教えていただきたいと思います。
 次に、教育行政についてお伺いいたします。
 まず、生涯学習についてでありますが、生涯学習とは何か。平成8年に教育委員会が発刊した江別市生涯学習ハンドブックの中で、「私たちが生きることは学ぶこと、学ぶことは生きること。一言で言うと私たちの生涯に渡って学習活動すべて」と記述されております。また、その中で、「学校で行われる教育はもちろん、スポーツ活動や文化活動・ボランティア活動など、私たちが楽しみながら行っているすべての活動が生涯学習と言えます」とあります。そうなれば、教育委員会の一部局で背負うには、余りにも広範囲なテーマであります。教育委員会のすべての施策そのものが生涯学習活動であり、大きく言えば、行政を含めた社会全体が生涯学習の場であります。これほど広範囲な課題は市長部局に設置するなど、すべての部局を見渡せる位置に置く必要性があると思います。また、到底、行政の働きだけではなし得ないわけでありますから、柔軟な対応が可能な組織の設置が必要と思われます。
 平成7年に生涯学習推進協議会が設立し、当時、私も委員として参加していたものであります。今ここで議論されたことを思い出しますと、生涯学習推進協議会を財団化することができないものかということでした。いまだ日の目を見ていないことでありますが、スポーツ・文化などを網羅して、市民活動を弾力的に支援できる機関、また企業メセナなど民間支援を受け入れる機関として財団の設立を考える必要があるのではないかと思います。ご見解をお伺いいたします。
 最後に、学校教育と社会教育の連携についてお伺いいたします。
 教育委員会では週5日制に伴い、地域とともに学校教育を充実すべく、総合的な学習の時間や学校の顔づくり事業、また、開かれた学校づくりなど精力的に地域社会に学校、すなわち、子供たちを押し出す施策を実施しております。子供たちもそれにこたえて、様々な農業体験や歴史体験、文化活動、福祉活動、環境保全活動などに取り組んでおります。誠に素晴らしいことだと応援している1人であります。
 そのようなことから、私も一市民として文化活動や河川のごみ拾いなど子供たちとともに活動してきました。しかし、振り返ると、そこに学校の先生の姿が見えないのであります。子供たちの学校外での姿を知らずして、果たして学校教育ができるのだろうかという疑問がわいてきます。また、子供たちと活動しているとき、本当にこのような指導や行動をとって良いのだろうか。学校教育との整合はとれているのか。子供たちを混乱させてはいないだろうかなどと不安になります。ここに、学校現場のプロとしての助言があればいいのにと思うときがあります。この思いは、地域活動で子供たちを預かる指導者が陥る思いではないかと思います。教育委員会では、新しい時代に即応した教育は地域社会と学校の連携とされています。では、学校とは何だ。建物ではなく、間違いなく先生そのものが学校であります。この課題には多くの議論があるのは承知しております。つまり、教員は忙しい、それぞれ個人的な形でやっている。また、教員のプライベートな時間まで拘束するのかです。では、このままの形がベストなのか。決してそうではないはずです。新時代の教育をうたわれている以上、この本質的な課題を解決すべきだと思いますが、教育長のご所見をお伺いいたします。
 以上、様々苦言を呈してきましたが、決して市長の政治姿勢に水を差すつもりはありません。むしろ、流れにさお差すつもりで申し上げました。課題を避けるのではなく直視し共有することで前進するものと信じて質問をさせていただきました。時代の転換期です。目指す、市民協働による自立したふるさと江別の胎動を、私は確かに感じております。行政として生みの苦しみは尋常ではないと思いますが、様々な課題に強固な意志を持って取り組んでもらうことをご期待申し上げ、第1回目の質問といたします。

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