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旧ヒダ工場

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年10月22日更新

旧ヒダ工場

EBRI

工場保存の趣旨

 江別市には、明治24年にれんがの製造が始まって以来、120年以上もの窯業の歴史があります。この歴史は、江別市(特に野幌地区)の産業として市民の生活を支えつつ、文化的にも大きな影響を与えてきました。江別市を紹介する上で、窯業の歴史は重要な要素のひとつです。
 しかし、歴史的なれんが建造物は、時代の流れとともに少しずつ姿を消して行くのも現実です。旧ヒダ工場は、平成10年に自主廃業した窯業会社「株式会社ヒダ」の工場跡です。当時は、江別市内に残されていた古くからある窯業工場のひとつでした。
 建物の構造にれんがが使用されており、JR線に面し車窓からも見えることから、江別らしい建物として市民に愛されてきたものです。市は、窯業の歴史と歴史的れんが建造物を保存するため、この工場跡を平成12年10月に取得し、「江別グレシャムアンテナショップ」として一部活用を図り、保存事業を続けてきました。

 平成26年8月には、民間のアイデアと力により、優れた文化的価値を活かしつつ、魅力ある施設として再生し利活用を図るため、保存活用に関する事業者を公募し、選定事業者と20年間の土地建物の使用賃借契約を締結しました。その後、旧ヒダ工場の文化的価値を活かしつつ地域経済活性化をもたらす施設として活用するため、改修工事を実施し、平成28年3月に商業施設「EBRI(エブリ)」としてグランドオープンしました。

工場の歴史

 明治24年(1891年)に江別でれんがの製造が始まってすでに120年以上になります。明治30年代には、野幌に北海道炭鉱鉄道会社がれんが工場を設置するなど北海道のれんが生産の中心地として栄えました。
 この建物は、愛知県常滑市より移住した、肥田房二氏が昭和16年に設立した肥田製陶の工場。排水用、井戸用などのリブ管、集合煙突用素焼管、セラミックブロックなどを生産していました。昭和50年代には、一時生産を止めていた時代もありましたが、その後電気暖房器用の蓄熱れんがの生産も行われていました。残念ながら平成10年に、業績の不振などで廃業しました。
 その後平成12年10月に江別市が、この工場を歴史的建造物保存活用のために購入しました。この旧ヒダ工場は、江別市の産業遺産であるとともに、れんがのまち江別のシンボル的存在です。

年月おもな動き
昭和16年肥田房二氏が東野幌に土管の製造工場を設置し、土管製造を開始した。
22年5月肥田土管工場が「肥田製陶株式会社」となり、初代社長に肥田房二氏が就任した。
26年6月工場が火事で焼失した。
26年~28年れんが造の窯業工場(現存の建物)を再建・増設した。
46年2月社名を「肥田製陶株式会社」から「株式会社ヒダ」に改称した。
52年12月工場としての操業を中止した。
50年代後半オール電化住宅用の蓄熱れんがの製造を開始し、再び工場として稼動し始めた。
平成10年3月「株式会社ヒダ」が自主廃業した。
12年10月江別市が土地および建物を取得し、保存事業を開始した。
14年3月建物利活用の一環として、建物の一部を利用した「江別グレシャムアンテナショップ」が開設された。

15年2月~3月

れんが造の「屋外煙突」を復元保存するために解体した。
15年6月~8月れんが造の「屋外煙突」を復元した。
21年2月近代化産業遺産に認定された。
26年8月~10月保存活用に関する事業者を公募し、ストアプロジェクト株式会社が選定された。
27年6月~12月文化的価値を活かしつつ地域経済活性化をもたらす施設として活用するため改修工事が行われ、「江別グレシャムアンテナショップ」が一時閉店した。
27年12月「江別グレシャムアンテナショップ」が「江別アンテナショップGET’S(ゲッツ)」に改称し、旧ヒダ工場が商業施設「EBRI(エブリ)」としてプレオープンした。
28年3月商業施設「EBRI(エブリ)」がグランドオープンした。

建物の概要

名称旧ヒダ工場
所在地江別市東野幌町3番地2、3
建築年月昭和26年8月新築、昭和28年増築
構造煉瓦造(新築部分)、鉄筋コンクリート造壁部分煉瓦積(増築部分)
屋根部分はいずれも木造トラス構造
建物面積1階 1,291.03平方メートル

交通アクセス

旧ヒダ工場への交通アクセス

 旧ヒダ工場:江別市東野幌町3番地2、3

交通機関路線名停留所(駅)名所要時間備考
JR函館本線JR野幌駅徒歩5分野幌駅南口
夕鉄バス江別・札幌線野幌バスターミナルまたは野幌東町徒歩2分 -

*このページを作成するにあたり『松下 亘 編著「野幌窯業史」野幌窯業振興協会、昭和55年(平成12年増刷)』を参考文献としています。