江別市経済部・旧ヒダ工場
 
江別市トップページ 
経済部トップページ
旧ヒダ工場
工場保存の趣旨 工場の歴史 建物の概要 交通アクセス
 

旧ヒダ工場保存の趣旨
  江別市には、明治24年にれんがの製造が始まって以来、120年以上もの窯業の歴史があります。この歴史は、江別市(特に野幌地区)の産業として市民の生活を支えつつ、文化的にも大きな影響を与えてきました。江別市を紹介する上で、窯業の歴史は重要な要素のひとつです。

  しかし、歴史的なれんが建造物は、時代の流れとともに少しずつ姿を消して行くのも現実です。旧ヒダ工場は、平成10年に自主廃業した窯業会社「株式会社ヒダ」の工場跡です。当時は、江別市内に残されていた古くからある窯業工場のひとつでした。

 建物の構造にれんがが使用されており、JR線に面し車窓からも見えることから、江別らしい建物として市民に愛されてきたものです。市は、窯業の歴史と歴史的れんが建造物を保存するため、この工場跡を平成12年10月に取得し、保存事業を続けています。

  現在、市は、「旧ヒダ工場」の土地・建物およびこの一部を利用して開設している「江別グレシャムアンテナショップ」の維持管理に必要な範囲内で補修などを行い、現状維持型の保存事業を続けています。将来は、地域経済の活性化につながるような施設にしたいと考えており、このためにいろいろな選択肢の検討を重ねています。
▲ページの先頭へ

旧ヒダ工場の歴史
  明治24年(1891年)に江別でれんがの製造が始まってすでに120年以上になります。明治30年代には、野幌に北海道炭鉱鉄道会社がれんが工場を設置するなど北海道のれんが生産の中心地として栄えました。

  この建物は、愛知県常滑市より移住した、肥田房二氏が昭和16年に設立した肥田製陶の工場。排水用、井戸用などのリブ管、集合煙突用素焼管、セラミックブロックなどを生産していました。昭和50年代には、一時生産を止めていた時代もありましたが、その後電気暖房器用の蓄熱れんがの生産も行われていました。残念ながら平成10年に、業績の不振などで廃業しました。

  その後平成12年10月に江別市が、この工場を歴史的建造物保存活用のために購入しました。この旧ヒダ工場は、江別市の産業遺産であるとともに、れんがのまち江別のシンボル的存在です。

年月 おもな動き
昭和16年 肥田房二氏が東野幌に土管の製造工場を設置し、土管製造を開始した。
22年5月 肥田土管工場が「肥田製陶株式会社」となり、初代社長に肥田房二氏が就任した。
26年6月 工場が火事で焼失した。
26年〜  28年 れんが造の窯業工場(現存の建物)を再建・増設した。
46年2月 社名を「肥田製陶株式会社」から「株式会社ヒダ」に改称した。
52年12月 工場としての操業を中止した。
50年代後半 オール電化住宅用の蓄熱れんがの製造を開始し、再び工場として稼動し始めた。
平成 10年3月 「株式会社ヒダ」が自主廃業した。
12年10月 江別市が土地および建物を取得し、保存事業を開始した。
14年3月 建物利活用の一環として、建物の一部を利用した「江別グレシャムアンテナショップ」が開設された。
15年2月 〜3月 れんが造の「屋外煙突」を復元保存するために解体した。
15年6月 〜8月 れんが造の「屋外煙突」を復元した。
▲ページの先頭へ

建物の概要
名  称 旧ヒダ工場
所在地 江別市東野幌町3番地2、3
建築年月 昭和26年8月新築、昭和28年増築
構  造 煉瓦造(新築部分)、鉄筋コンクリート造壁部分煉瓦積(増築部分)
屋根部分はいずれも木造トラス構造
建物面積 1階 1,291.03平方メートル
▲ページの先頭へ

交通アクセス
旧ヒダ工場への交通アクセス

 旧ヒダ工場 江別市東野幌町3番地2、3
交通機関 路線名 停留所(駅)名 所要時間 備考
JR 函館本線 JR野幌駅 徒歩5分 野幌駅南口
夕鉄バス 江別・札幌線 野幌バスターミナル
または野幌東町
徒歩2分  −
▲ページの先頭へ

※このページを作成するにあたり『松下 亘 編著「野幌窯業史」野幌窯業振興協会、昭和55年(平成12年増刷)』を参考文献としています。

  問い合わせ先
江別市 経済部商工労働課 電話 011−381−1023   Eメールmail
 
Copyright (C) 2004 City of Ebetsu. All rights reserved.